ふたたび旅(アフリカ編 たびタビ旅part2)

約2年4ヶ月の旅(http://zensin.jugem.jp/)からはや5年あまり。もう行かないはずだったのに、3回目の長い旅へ…。我が旅人生堂々の3部作完結アフリカ編!!…のはずです。

2006年12月



12月31日大晦日、ウスアイヤに戻ります。
1月1日のボートはないということで、31日に帰るか、2日に帰るか迷いましたが、この何もない静かな町で後2日も過ごすのはちょっと寂しい気がして、帰ることに。
ウスアイヤの町に戻り、年末にたくさんの旅人が集まってきていたのでもうベッドは空いてないかなと半分諦めていたのですが、前に泊まっていた日本人宿に電話してみることに。
宿のおばあちゃんが電話にでました。
「もう、ベッドの空きはないねぇ‥、マットレスの空きもないしねぇ‥‥。ん?ちょっと待って、ソファーなら空いてるけど、そこで寝るならいけるよ。」
「それでも、かまいません、泊まらせて下さい!」
ラッキー泊まれるぞ~!!
町の中心部から少し離れている宿に40分かけて歩き向かいます。
宿のドアを開け入ります。
「おいおいもう帰ってきたのか、早すぎるよ、プエルトウィリアムスで年を越すって言ってたじゃないの。」
「寂しくなって帰ってきたんじゃないの。」
「お前の分の年越しそばはないぞ~。」
みんなから暖かい容赦ない叱責の言葉をもらいます。
いや~、戻ってきて良かったぁ。
夜は、みんなでピザを焼いて食べながら、紅白歌合戦の鑑賞会。
年越しそばもしっかり食べました。
そして、カウントダウン。
「5、4、3、2、1‥」
「あけましておめでとうございま~す!!!」

今年も良い年でありますように。








最南端の小さな小さな町、プエルトウィリアムス。
ここには自然以外とりたてて観光するところはありません。
僕は歩きませんでしたが、4日間ほどで回ることができる世界最南端のトレッキングコースもあります。
でも、よく考えるとここにあるものは全て最南端なのですね。
最南端の銀行、カフェ、パン屋、食料品店‥‥。
そして、日本人の中でもっともアメリカ大陸最南端にいるこの僕。
う~ん、これはすごいことなのか。

町近くのハイキングコースを歩いたり、山に登ったりしてみました。
山に登ると、そこから北にアルゼンチンとの間にあるビーグル海峡の景色が遠くまで眺めることができました。
南へ目を向けると、なだらかなガレ場が続きます。
そこからの道はないのですが、そのガレ場を登りきった向こうにどのような景色があるのか見てみたくなり、細かく割れた石の上をガシガシと歩き続けます。
途中、何度か引き返そうかと思いましたが、30分ほど歩いた時、とうとう山の逆側にたどり着きました。
そこには、「ナヴァロの歯」と呼ばれる鋭角的にそそり立つ山が目の前にありました。
おぉーかっちょえ~。
そこには僕、ひとり。
この景色を独り占め。
プエルトウィリアムス、来て良かったぁ。

夕飯は、町の食料品店で見つけた、日清カップヌードル!!
お湯をかけて待つこと3分。
う、うますぎる~。




ウスアイヤでのんびり過ごしていたのですが、いよいよ次なる地へ出発することとなりました。
目指すは、最南端の町、チリ、プエルトウィリアムス!!
えっ、最南端はウスアイヤだと前に言ったじゃないかとおっしゃる方がいることでしょう。
そう、その通りなのですが、最南端は二つあるのです。
しかし、緯度でいうと本物の最南端はプエルトウィリアムス。
それでは、なぜウスアイヤが最南端を名乗ることができるのか。
それは、もともとプエルトウィリアムスは軍港であって民間の人は住んでおらず町とは言えなかったからであり、民間人も住むようになった現在も町とは言えないような村のような場所。
ということで、最南端の「町」と最南端の「村」がある訳です。
プエルトウィリアムスが更に発展して大きな町になればどのようになるかという疑問も残るわけですが、とりあえずそういうことなんです。
深く考えてはいけない大人の事情ってやつですね。

行き方は、まずボートでウスアイヤの対岸にあるチリ領のナヴァロ島に40分ほどかけて渡ります。
そこから車に乗って東に走ること1時間で到着するのです。
実際に乗り物に乗っている時間は2時間弱なのですが、料金は片道100USD往復150USDというかなりお高い料金。
行く人が少ないため、ボートも最高で6人ほどしか乗れない小さなものなので仕方がないのかもしれませんが、やはり高いですよねぇ。

朝9時に集合場所の旅行代理店の前に行きます。
しかし、5分経っても10分経っても店の人は来ません。
集まる場所を間違えたのかと少し不安になります。
9時半になりようやくおっちゃんがやってきました。
するとおっちゃん、「出発は2時に変更になった。君には連絡先が分からなかったから伝えられなかった。」と。
おいおいこっちは早起きしてきたんだぞとむかっとしますが、どうすることもできず。
でも、おっちゃんすまなさそうに紅茶でも飲んでくれと出してくれたんで、許してあげることにしました。
優しいねぇ俺、って食べ物でつられているだけじゃないのか?

仕方がないのでしばらく町で時間を潰した後、2時に再度店へ。
その時には、僕の他にも3人ほど人が集まっており、車に乗り込み港へ向かう。
出国手続き等をした後、いよいよボートに乗り込み出発。
ボートはゴムボートの少し大きなかんじのもの。
エンジンがうなりを上げ海面を跳ねるように進みます。
が、しかし、海の半ばまで来た辺りで波が高くなってきます。
ボートは波に乗り上げては落下します。
感覚的には1~2mくらい落ちてる気がします。
いつもこういう小さなボートに乗るときはライフジャケットを着用させらることが多いのですが、初めて着けてて良かったと思えました。
尻は痛いは、海水がボートのカバーのすき間から入ってきて僕のバックパックを濡らすはで、ちょっとびびりました。
ははははは、笑うしかありませんねぇ。

そんなこんなしながら、なんとか無事チリに到着。
ここで入国手続きをして、車に乗り込みます。
車は未舗装の一本道を走ります。
暖房の効いた暖かい車内のためか、いつの間にかうつらうつらしてしまいました。
突然、車が止まり、目が覚めます。
そこは、小さな建物に囲まれた小さな広場。
プエルトウィリアムスです。
とうとう来ました、最南端。







同じ宿に泊まっている人がレンタカーを借りて観光に行くというので、僕も一緒に連れていってもらうことに。
ここウスアイヤに来て、初めて観光らしきことをします。
大型のバンを借り、全員で11名の大人数。
おにぎり作り、気分はルンルン遠足気分。
目指すは、「斜めの木」。
ここパタゴニアでは、強い風が一方方向から吹きつけため、斜めに成長していく木があるのです。
ドライバーは元バスの運転手の人です。
さすがにプロというなめらかな心地良い運転。
僕も何か役に立てることがあればいいのですが、飯を食うことぐらいしか特技はないですねぇ‥‥困ったもんです。
1時間半ほど走って、「斜めの木」にとうちゃ~く。
見事にななめってます。
その前で大撮影会。
みんなで跳んだり跳ねたりよじ登ったり並んだりしながら、写真を撮りまくり。
いい写真撮れました。

町に帰る途中、海に寄りムール貝取り!
アルゼンチンの人はほとんど魚介類を食べないからなのか、海岸には驚くほどの量の貝。
足元はびっしりと敷き詰められた貝で黒々しています。
みんなで歓喜の声を上げながら、貝を拾い集めます。
酒蒸しにしたら美味いだろうなぁなどと期待は高まります。
かなりの量の貝を集めた頃、一台の車が近くに止まりました。
そして、男の人が降りてきて、僕らを呼びます。
ん?もしかして、ここで勝手に採ったら駄目なのか?
恐る恐る近寄ります。
すると、その人は言いました。
「この貝には毒があるから、食っちゃ駄目だ。病院送りになるぞ!!」
ウォーなんてこった。
先ほどまでのテンションが一気に下がります。
しかし、この目の前の美味しそうな貝は諦めきれない。
とりあえず宿に持ち帰り、宿のおばあちゃんに尋ねてみることに。
その答えは‥‥。
この貝は食べられる貝だが、今の季節、食中毒になる可能性も否定できないとのこと。
やっぱり駄目だった。
無念。
しかし、気を取り直し夕飯は中華のバイキングへ。
25ペソ(約1000円)と高かったものの、中華の他にビーフ、ラムなどのバーベキューも食べることができ大満足。
最後のデザートを無理やり胃袋に押し込んだ時には、腹いっぱいすぎて気持ち悪くなる。
ここまで食ったのは、久しぶり。
気持ち悪いけど、気持ち良い。
幸せ。

食後は再び車に乗り、目指すは国道3号線の終点。
アメリカのアラスカから始まる道がここで終わるのです。
10時半を過ぎ、太陽がやっとこさ沈んだ頃、そこに到着。
看板が一枚立っているだけの殺風景な場所。
ここでもみんなで記念撮影。
パシャ!
いい写真撮れました。










クリスマスイブっていうことで、今日の晩御飯は豪勢に。
炭で火を起こし、でっかい肉を豪快に焼きます。
オーブンではチキンを丸ごと焼きます。
材料を買出しに行った時は、すこし多いかなと思った肉もあっという間になくなっていきます。
次々に増えていく空のビール瓶。
気づくと4リットル入りのワインもなくなります。
みんなの飲む量には驚かされます。
この世にお酒を飲めないって人は存在しなかったっけ。
それも女の人たちのほうが飲む飲む。
僕には到底ついていけませ~ん。

12時近くになり、ケーキの登場。
シャンパンを開け、みんなでメリークリスマス!!
そして、宴はまだまだ続く‥‥。







日本人宿ではみんなでまとめて食事を作る、シェア飯と呼ばれるものがあります。
これ、料理があまり作れない僕にはすごくありがたい。
みんな男女に関係なくすごくうまく料理します。
限られた材料、調味料から日本の味、美味しい料理を作り出すその感覚には感心させられます。
ここ何日かで食べたものは、ロールキャベツ、チキン南蛮、ステーキ丼など。
いや~旨い、旨すぎる!!
僕もこんなものが作れたらなぁ。
何もできない僕は、皿洗いでご奉仕。

今日は、ここの名物、トゥルーチャ(マス)が手に入りました。
焼き魚、刺身、カルパッチョなどなどマス三昧。
いつもよりワインもすすみますね。
今、一番怖いもの‥‥。
それは、体重計。





再び、アルゼンチン。
この辺り少し移動するだけで、アルゼンチン、チリをいったりきたり。
なんか、面倒くさい。
チリのプンタアレナスからアルゼンチンのリオグランデに移動。
そこで一泊して、ウスアイヤにやってまいりました。
ここは、南米最南端の町。
あくまでも最南端の「町」であって、「場所」ではないです。
だから目の前に大海原が広がるって訳でもなく、更に南の島などが見えたりします。
そのため、はるばるやって来たという深い感慨もありません。
しかし、とにかく最南端です。

この町、南極観光の起点となる町。
そのためこんな僻地にあるにもかかわらず意外と賑やか。
ここからたくさんの南極ツアーの船が出ています。
南極というと探検家が行くような場所というイメージがありますが、手軽に行ける場所なんですね。
ツアー代金は10日間ほどで30万円から50万円ほど。
払えるか払えないか微妙な金額なのですが、今回はそれほど行きたいと思わないので申し込まないことに。
また、将来、南極が僕を呼べば行くことになるでしょう。

ここで何をしているのかというと今のところ特に何もしておりません。
毎日だらだらと。
なぜなら泊まっているのが、日本人宿。
この旅で初めての日本人宿です。
ここに泊まっているのは、全員日本人。
NHKを見れるは、日本語の本はたくさんあるは、お風呂!はあるはで、ここは、そう、日本。
日本語で思う存分話せる幸せ。
毎晩、宿のみんなと朝日が昇るまで飲み、食い、話す。
居心地良すぎる。
ああ、落ちていく自分。
旅を続けなければと思いつつ、もう少しだけ、もう少しだけ…。








プエルトナタレスからバスで3時間ほどの所にあるプンタアレナスです。
ここでの目的は、ペンギンを見ること!
ペンギンと言うと、南極、氷などのイメージが強いのですが、南米やオーストラリアなどの南部にも生息しているのです。
町からバスでペンギンのいる海岸に向かいます。
1時間ほどで到着し、さっそく入場料を払って遊歩道を進みペンギンを探します。
いました、いました。
海の近くの原っぱをヨチヨチ歩いています。
海岸には、海から帰ってきたペンギン達がいっぱい集まっています。
それにしても、可愛い。
自然と笑顔がこぼれます。
周りの人々も、小さな女の子からいかつい顔をしたおっさんまで、みんな笑顔です。
それにしても、なんでこんなに可愛いんでしょうか。
手足が短くてぽっちゃりとした体型だからか?
ヨチヨチと頼りなく歩くからか?
パンダと同じように体の色が白と黒からなのか?
よく分からないけど、癒されます。
北朝鮮との6カ国会議も、部屋の片隅にペンギンを2,3羽置いておけば、みんな笑顔できっと話し合いはうまくいく!
…訳はないか。

しかし、可愛いからってなめてもらっちゃこまります。
遊歩道の側にペンギンがいたので、アップで写真を撮ろうとカメラを近づけると、いきなり突つかれました。
あやうくカメラを壊されるとこでした。
ペンギンも怒るときは怒るんです。



いよいよ最終日。
ぐっすりと寝ることができたためか、気分、体ともだいぶんすっきり。
今日は、バス出発地点まで、5時間歩くだけ。

よし帰るとするか、とバックパックを背負う。
食料もほとんど残っていないため、初日と比べ軽くなっている。
道は、上り下りのない全く平坦な道。
疲れの溜まった体には嬉しい。
それでも、無理しないようゆっくりと歩くよう心掛ける。

この道は歩く人があまりいないためか、誰とも会わない。
しかし,一人だけ日本人のおっちゃんと出会う。
このトレッキングで初めて会う日本人だ。
というか,1ヶ月ぶりくらいに日本人と話をした。
この人、日本で中学校の教師をしているらしいのだけれど、40日間の休みが奇跡的に取れ、パタゴニアに来たらしい。
こういう長期休暇を取ることができ旅をしている日本人に出会うと、なんか嬉しい。
40、50代の長い旅行をしている欧米人にはたまに出会うが、こういう日本人にはほとんどお目にかかれない。
体力のある内にしかできないことってものもあると思う。
特に山なんて、定年してから登ろうとしたって体力的にかなりきついと思うし、そのまま山でポックリ逝ってしまうかもしれない。
やはり日本人は働き過ぎなんだよな。
日本もしっかり休みを取れる社会になって欲しいものです。
僕は逆にもっとしっかりと働かなければならないって事は重々承知しているのですが・・・。
もうちょっとだけ旅させて下さい。

その後も、時々休憩を取りながら歩きます。
回りは見渡す限りの野原。
遠くに昨日まで歩いてきた山々が見えます。
あそこを巡ってきたのだと思うと、軽い満足感を覚えます。
鳥の鳴く声以外は何も聞こえません。
風もなく、太陽に照らされ暑い っていう訳でもなく、薄曇りの歩くには丁度良い天気。
しかし、だんだんと足、肩がだるくなってきます。
あと少し、あと少しと自分に言い聞かせます。
車道に出ます。
ここまで来たらもう少しです。
遠くに建物が見えます。
あそこに違いない。
少しづつ、痛む足を引きずるようにしながら前進します。
いよいよゴールは目の前に迫ってきました。
僕には、真っ白なゴールテープが見えます。
大観衆の大声援も聞こえます。
ゴール!
やったぞー。
ん?
誰もいない。
建物を間違えたようです。
またまた歩きます。
10分歩いて、またゴーール!
そこにはバスも止まっており、今度は間違いないようです。

帰りのバスに乗りこみます。
バスは街を目指し走り始めます。
窓の外には、大きく山が見えます。
その姿は・・・、太陽に照らされ青空の下にそびえ立つ雄々しいものです。
えー!?
おいおいおい、今頃になって、そんな最高の笑顔を見せるなんてよぉ。
僕が帰るのが、そんなに嬉しいのかよー。



まずは次のキャンプ地への移動。
今日は2時間ほどだからまだ気が楽だ。
到着して、いつもの様にテントを張ります。
もう目をつぶっても出来ますね。

そして、いよいよ最後3本目のルートを北上します。
目指すは、氷河!
またまた氷河なんですが、それだけたくさんあるんだからしょうがない。
重い荷物を背負っていない体は今日も軽い軽い、走るように歩きます。
・・・と言いたいところなんですが、いやに体が重く感じる。
道自体もけっこうアップダウンがあるのだが、それにしてもしんどい。
足に鉛が付いている様だ。
昨日、あれだけ気持ち良く歩けたのに。
帰りの下りなんて、軽く走っちゃったりしたのに。
僕もまだまだ体力があるなと思っていたのに。
そう、一昨日、昨日の疲れがタップリ体に染みこんでいるのです。
この回復力の無さ、これが年ってやつなのか。
あぁ、昔は・・・。

氷河自体はかなり小振りなものでしたが、近くでその姿を見ることができ、しばらくのんびりと座り眺めていました。
30分以上はいたでしょうか。
しかし、なかなか帰る気力が湧いてこない。
帰りたいけど歩きたくない、歩かないと帰れない。
分っちゃいるが、イヤなものはイヤなのだ。
無理矢理気合いを入れて歩き出す。
他の人を抜かそうが、抜かされようが気にしない。
自分のペースで前へ進むだけだ。
途中キツツキに遭遇。
コツコツ、コツコツ、木を小突いていました。
実物をこの目で見るのは生まれて初めて。
ちょっと元気を貰いました。
3時間後、なんとかキャンプ場に無事生還。
只今、帰って参りました!

このキャンプ場、ホットシャワーがあります。
山に来てから初めてのシャワー。
3日分の汚れが流れて行きます。
疲れも一緒に流れて行きますように。
8時半、倒れるように 寝袋に潜り込みます。
後は明日の朝まで泥の様に眠るだけ。
おやす・・・

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