ふたたび旅(アフリカ編 たびタビ旅part2)

約2年4ヶ月の旅(http://zensin.jugem.jp/)からはや5年あまり。もう行かないはずだったのに、3回目の長い旅へ…。我が旅人生堂々の3部作完結アフリカ編!!…のはずです。

2008年04月



リシュケシュよりマナリーへ移動します。
いったいどうやって行けばいいのか分からなかったので、旅行代理店の人に尋ねます。
するとここからの直通のツーリストバスはなく、いったんここからバスで一時間ほどの場所にあるハルドワールという町まで行き、そこからローカルバスに乗らなければならないとのこと。
ハルドワールからマナリーまでどのくらいかかるかと訊くと、だいたい8時間くらいで着くのではないかということ。
それなら早朝にここを出発すれば、なんとか夕方には着きそうです。

そして、朝9時にハルドワールに到着しました。
マナリー行きのバスは9時45分のがありました。
ちょうどいい感じです。
どのくらいで着くのかチケット売り場の人に訊いてみます。
答えは‥‥。
シックスティーン。
えっ!?シックス?
ノー!シックスティーーーーーーン!!
おいおい旅行代理店の兄ちゃん、全然違うやないか。
インド人~。
ちょっと待てよ、16時間かかるってことは、10時前に出発なんでそれに16を足すと‥‥え~と‥‥12時間後が夜10時なわけで更にそこから4時間かかり‥‥‥え!?夜中の2時頃!?
は~ぁ、勘弁して欲しいです。

バスはローカルの名に相応しいぼろっちいもの。
一列5席で、リクライニングなし、そして、もちろんエアコンもなし。
16時間、無我の境地になり耐えるのみです。
乗客にはたくさんのチベット人がいます。
北に向かうことを実感します。
バスはほぼ予定通り10時頃出発します。
がたがたと揺れながら走っていきます。
乗り心地ははなっから期待はしていなかったのですが、気温が高いのがつらい。
暑さでぼぉ~っとしてきます。
そうして窓の外をぼぉ~っと眺めていると、マナリー300キロとかかれた標識が視界に入ってきます。
300キロ?
時速50キロで走ったとしたら6時間で着くじゃないか。
今が2時なので、もしかしたら夜8時くらいに着くのか?
少し希望の光が見えてきました。
でも、インドでそんな甘い話はあるわきゃない。
それからがなかなか距離が減らない。
6時を過ぎても、残り200キロの表示が出ています。
4時間走って、100キロほどしか減らないってどういうこっちゃ。
いったいどういう道の走り方をしているのだ。
そして、日も沈み暗くなり、道は急な上り坂へと変わり、バスはさらにスピードを落とすのでした。
はい、少し早く着くんじゃないかというささやか願いはきっぱりとあきらめました。

いつの間にか眠っていたようです。
バスが揺れ、窓に頭をしたたかに打ちつけ、目を覚まします。
うっ、寒いです。
回りを見渡すと僕以外の乗客はみな厚手の服を着込んでいます。
半そでなんて僕だけです。
何か着ようにも荷物は全て屋根の上に載せてしまっています。
ああ、寒い寒い。
これだけ寒いということは、ずいぶんと高い標高まで上ってきたのでしょう。
もうマナリーに近そうです。
そして、2時半、マナリーに到着。
本当に16時間ほどで着きやがる。
なんでこんな時にはちゃんと時間通りに着くのだ、インドのバス。
僕に嫌がらせをしているとしか思えません。
しかし、この2時半という時間もまた微妙な時間ではあります。
これが12時くらいならあっさりとホテルに泊まろうとするのだが、この時間になると朝までのわずか数時間のために一泊分の料金を払うのもなんか馬鹿らしい。
しかし、朝まで外で過ごすにもまた長すぎる時間でもあります。
さて、どうしよう。
バックパックの中には寝袋は入っている。
ほとんど使ったことはないのだが、念のため夏用のすごく薄いものを持っているのだ。
せっかく持っているのだから、たまには使うとするか。
ということで朝までバススタンドで寝ることにします。
ベンチの上に寝袋をひろげもぐり込みます。
寝袋の中はあったか~いということはなく、薄い布を通して冷たい外気が容赦なく染み込んでくるのでした。
昼間はあんなに暑かったのに、なんで同じ日の夜にこんなに寒い思いをするのだ。
しかし、ああ~寒い寒いと思いつつ、いつの間にか深い眠りに落ちていたのでした。



いよいよヨガを始めて10日が経ちました。
ということで今日が最終日となります。
よく頑張ってきたもんです。
背中の痛みにも負けず、下痢にも負けず、暑さにも負けず、雨にも負けず(雨なんか降ってませんが。)、風にも負けず(風なんかも吹いてませんが。)、日々ぐいぐいぐりぐり曲げてひっぱり続けてきました。
その甲斐もあり、前屈をして指先が地面に届くようになりました。
ラクダのポーズのようなきつい体勢も長時間できるようになりました。
体幹部分が鍛えられて背筋がしゃきっと伸びたようにも感じます。
そして、腹回りも少しすっきりした気がします。(よしっ!)
これは体を動かしたのもあると思いますが、食べ物の影響も大きいと思います。
というのも、ここリシュケシュはヒンドゥー教の聖地であるため、レストランは肉や卵を使わないベジタリアン料理しか出さないのです。
それに加えて下痢と暑さのため食欲もなくして食べる量も減ったとくりゃ、痩せないわけはないでしょう。
健全な魂は健全な肉体に宿るといいますが、気分もすっきりとして気持ち良いもんです。
問題はただひとつ。
この体をいつまで維持できるかってことです。
難しいですねぇ。
ちなみにすっきりしまった体というのは、あくまでも以前の僕の体と比較してということを、非常に残念ながら付け加えさせて頂きます。



突然それはやってきた。
ぐるぐりぐりゅぐる~。
僕はあわててトイレに駆け込む。
あああぁぁぁぁぁ。
いったい何が悪かったのか。
夕食で食べた屋台のターリー(インドの定食)か。
それとも、その後に飲んだ牛乳か。
くそ~、僕がいったいなにをしたっていうんだ。
とりあえず出すものは出したんで、部屋に戻る。
ベッドの上に座り一息つく。
なってしまったもんはしょうがいない。
しかし、こうなってしまうと、食べる、飲むことが怖くなってくる。
時刻は夜の9時。
夕食は済ませているので今のところ食べる方は心配ないのだが、問題は飲む方。
現在、気温は32度。
これだけ暑いと、もちろん汗をかき、そして、もちろんのどが渇く。
どうしよう。
ちょっとだけ飲んでみようか。
ちょっとだけ‥‥。

30分後。
ぐるぐるぎゅりりるる~。
きたきたきた~!!
ああああああぁぁぁぁぁ。
う~む。
これはまいった。
誰がなんといおうとこれは完全な下痢である。
水も安心して飲めないとは。
そして、これでは安心して放屁もできぬ。
あっ、屁が出そうだと下腹部に力を込めてぶっぱなそうとして、それが屁以上のものが出てしまったら大惨事となってしまう。
この歳にして、大惨事は是非とも避けたい。
なのでなんとも微妙な繊細な感覚が必要となってくるのです。
なんで屁ひとつでこんなに気を使わないといけないのだ。
下痢のばかやろう。

何度もトイレに行かねばならず、まんじりともせず一夜を明かしたのでした。
そして、朝のヨガのクラス。
すでに何回かやってきたので、だいぶん慣れてはきましたが、やはり痛い。
ぎしぎしと体中がきしんでいます。
時間が経つにつれ、やはりうっすらと汗がにじんできます。
しかし、いつもの心地良い汗とは少し違う。
冷や汗といいましょうか。
貧血状態になったように顔が冷たくなり、くらくら~っとしてきます。
ぐりゅぐりぃるるぅ。
ああ~きた~。
もう、だめ~。
ト、トイレ‥‥。

ヨガと下痢の無間地獄。




デリーでは一日過ごしただけで、すぐにリシュケシュに移動します。
リシュケシュは今回の僕のインドの旅のハイライトと言ってもいいでしょう。
それはインドではヨガをするっていうのが、今回の旅の一番の目的であったからです。
リシュケシュは「ヨーガのふるさと」として知られており、アーシュラムというヨガの道場・僧院がたくさんあり、多くの外国人がヨガを学ぶために滞在しているのです。
デリーからバスを乗り継ぎ、8時間ほどで到着します。
どこのアーシュラムでヨガをするのか迷いましたが、初心者向きのやさしい所を選びます。
なんていったって僕の体の硬さは尋常ではありません。
足をまっすぐに伸ばし前屈しても、指先はつま先よりはるかかなた。
そんな僕が足をあっちに手はこっちにと中国雑技団のようなポーズができるわけがありません。
一歩一歩こつこつとです。
ここには10日間滞在して、朝、夕に1時間半づつみっちりとヨガをやる予定です。
とりあえず明日から始めようかと考えていたのですが、今日の夕方5時の回からも参加できると聞き長時間の移動で疲れてはいたのですが、さっそくやってみることにします。

道場に入ると参加者は思っていたよりも少なく、全員で5名しかいません。
少し高くなった前のステージの上には、ほっそりとした30歳くらいの若い男の先生がいます。
僕は入り口でしばらく中を見渡した後、ステージから離れた後ろの方にこっそりと隠れるように座ります。
果たしてどんなものなのか。
ちょっとどきどきします。
ヨガは軽い瞑想のようなものから始まります。
そして、呼吸をしっかりとさせられます。
呼吸はヨガにおいて大切なもののようです。
そして、ゆっくりとヨガが始まります。
ストレッチのようであり、それ程むちゃなポーズをさせられることはありません。
できなくても無理やりやらされることもありません。
しかし、それでも体中がぎしぎしと軋んでいるような感じがします。
硬いとは思っていましたが、これほどとは思わなかったです。
横を見ると、長くヨガを続けているような女の人が軽々とポーズをこなしています。
同じ人間なのになぜこんなにも違うのでしょうか。
それでもイテテテテアテテテテと痛みにもだえ苦しみながらやっていると、体がだんだんと温まってきてしっとりと汗ばんでくるのが分かります。
気持ち良いといってもいいかもしれません。
これを毎日続けていけば僕も横の女の人のようにやわらかくなるのでしょうか。
よし、頑張るか。
ヨガも終わりに近づいてきました。
仰向けに体を真っ直ぐにして横たわり、そこから足、腰を上げていき、首の後ろを支点にしてまっすぐに立たせるというポーズをとらされます。
おお~くる~。
そして、そこから足を頭の方に下ろしていき、つま先を床につけるという体勢に移行していきます。
いててててて。

ぐきっ!!

あっ、首の後ろの筋肉が‥‥。
ヨガ修業、前途多難であります。



デリーにはマクドナルドがあります。
となれば旅する国にあれば一度は食べに行くようにしている僕としては、行かないわけにはいかんでしょう。
しかし、ここインドのマクドナルドは今までの国よりもいっそう僕の心を浮き立たせます。
なぜなら、ここはヒンドゥーの国。
すなわち牛肉を食べない国なのです。
それでは、ハンバーガーの重要な要素である肉はどうなるのか。
それはビーフのかわりにチキンを使うのです。
それはいったいどんな味がするのか。
実は6年前も食べたことがあるのですが、その時の記憶がほとんどないのです。
食べたことは覚えているのですが、美味かったのか不味かったのかはっきりしません。
いやいや最近、物忘れがひどくなってきましたねぇ。
でも、忘れたおかげでこうして再びわくわくとマクドナルドに向かうことができるので、それはそれでよしとしましょうか。

マクドナルドには1時半過ぎに到着しました。
そんな時間なのに店内はお客でいっぱいです。
席もほとんど埋まっているのですが、一人だしどうにでもなるかと思い、カウンターに注文しにいきます。
注文するのは、その名もマハラジャチキンマック。
インドらしくていいじゃないですか。
見た目はビッグマックとほとんど一緒で、ただビーフがチキンに変わるってだけです。
セットを注文します。
フライドポテトができあがるのをしばらく待たされます。
でも、揚げたてが食えるのでよしとします。
商品を受け取り、席に座ろうと辺りを見渡しますが、やっぱりどこも空いていない。
困ったなぁと思っていると、係員のおっちゃんがここに座れと爽やかなインド人カップルが座っている4人がけのテーブルを案内してきます。
いいのかなと少し遠慮していると、そのカップルもどうぞどうぞというので座らせてもらうことに。
これでいよいよ食べることができます。
まずはコーラで喉を潤します。
そして、ハンバーガーを手に取ります。
ゆっくりと包装紙をめくっていきます。
う~ん、美味そう。
それでは、いただきま~す。

パク。

ん!?
これは‥‥。
うま~~~く、な~~い。
チキンのパテにはインドらしくマサラの味付けがしてあるのですがそれがまったくジューシーでありません。
作ってから時間が経ちすぎているのか。
う~ん、6年前もこんな味だったのか。
いったいあの僕のわくわくドキドキの期待感はなんだったのでしょう。
やっぱりちゃんと覚えとかないといけないですね。
そうは言っても、いつの日かインドに来て同じようにわくわくしてまた来てしまうかもしれませんが‥‥。



コルカタよりデリーへ列車で一気に移動します。
夕方6時半に出発して翌日の夕方5時に到着するという長い旅です。
座席はいつものように2等寝台です。
思い切ってエアコン付きの寝台にしようかとも思ったのですが、やはり倍以上する値段を払うことはできませんでした。
いつになったら優雅な旅ができるのでしょうか。

列車は6時半ぴったりに出発します。
幸先良いです。
同じコンパートメントの僕以外の乗客はインド人らしき3人組の若い男の子と2人組のおっちゃんでした。
彼らは僕が列車に乗り込んだ時から、興味津々といった感じでじっと見てきます。
そして、列車が走り出してしばらくすると、やっぱり話しかけてきました。
「どっから来た?」「名前は?」「どこに行くの?」
まるでバングラデシュにいるみたいです。
今度は僕が訊いてみます。
「君らもデリーに行くの?」
「うん。」
「デリーに住んでいるの?それともコルカタ?」
「いや僕らはみんなバングラデシュから来てるんだ。」
あっ、やっぱり‥‥。

列車に乗っていると、さまざまな物乞いがやってきます。
足がない人、手がひん曲がっている人、目が見えない人、床を掃除する人、ただ貧しそうな人。
僕はほとんどお金を渡しませんが、他のインド人は毎回ではないのですが、案外と渡していたりします。
しかし、ほんのわずかな額なので、物乞いの人もそれなりのお金を集めるのは大変な労力が必要だと思います。
物乞いも楽な商売じゃなさそうです。
しかし、そんな物乞いの中でもかなりの勢いで稼ぐ一団がいます。
彼らがやってくると、乗客は一瞬ざわめき立ちます。
そして、ポケットをまさぐりお金を用意します。
いつも払わない人でさえしっかり手にお金を握っています。
その一団は僕らのそばに来ると、笑顔ひとつ見せずにじろっと見渡します。
みんな先を争ってお金を手渡します。
普通物乞いの手にはわずか数枚のコインが置かれているのですが、彼らの手にはたくさんの札が握られています。
それでも彼らはお金をもらってもやはり当然とばかり笑顔ひとつ見せることはありません。
彼らはいったい何者なのか?
彼らは、体はごつく、長い髪を持ち、インドの女性の民族衣装サリーを身にまとい、口紅もつけています。
オカマ?
彼らはお金を出さない僕に、なんであんた払わないのよ~という感じで頭を撫でつけてきます。
あぁ、勘弁してください。
しばらくすると、なによあんた、ふんっ、といった感じで次のコンパートメントへと移っていったのです。
いったいなんなんだやつらは。
そして、なんでみんな素直にお金を払うのだ。
インドのオカマは偉いのか?

インドの北部は4月5月が年間で一番気温が高くなります。
50度近くまで上がるときさえあるらしいのです。
そうなると昼間は出歩くことは不可能で、ただ家の中でじっとしているしかないといいます。
今はそんなに暑くないとはいえ、30度は余裕で越えています。
車内の温度も太陽が高くなるにつれ、だんだんと上昇していきます。
晩、朝と開けられていた窓も、いつの間にか全て閉じられています。
それもそのはず外から吹き込んでくる風は、涼しいってもんじゃなく、熱風であります。
車内の温度は39度近くまで上がっているので、外はもっと暑いでしょう。
ぐったりしてきます。
乗る時に持ち込んだ水は既に全部飲み干してしまっています。
こんな時に限って水を売りに来ない。
み、水‥‥。

夕方4時を回ると陽も低くなり、暑さも随分とましになってきました。
しかし、日中の暑さにやられたのかみんなぐったりとしていて、車内には気だるい空気が充満しています。
到着まで、およそ後1時間。
少し遅れても2時間くらいか。
横に座っていた若いバングラデシュの男の子が僕にのっそりと近づいてきて言いました。
「列車、予定よりだいぶん遅れているみたいだよ。」
そして、虚ろな目をして続けるのでした。
「7時間くらい。」
え!?

‥‥‥‥‥。



6年前、長い旅をしていて誕生日を迎えたのが、ここコルカタでした。
今年の寂しい誕生日とは違い、同じ宿に泊まっていた旅で知り合った友達に祝ってもらったのでした。
その時、祝ってもらったのが「オリパブ」というレストランでした。
そこはインドにもかかわらず、ビーフステーキが食え、パブというだけあってビール、ウィスキー等のアルコール類も飲めるという店です。
そこで食べたステーキ、飲んだビールの味は忘れません。
幸せなひと時でした。
そんな思い出のある店なだけにまた行きたいと思っていました。
しかし、それは楽しみでもあり、ちょっと恐ろしくもありました。
もし、食べて美味しくなかったらどうしよう。
あの6年前の楽しい思い出はどうなってしまうのでしょう。
しかし、せっかくこうして再びコルカタに来たからには、やはり食っておかなければなりません。
行こうと決意します。
可愛い女の子が一緒なら更なる幸せな思い出をオリパブに塗り重ねることができるのですが、残念ながらそんな人はいないので、部屋をシェアしていたドミニクを誘います。
オリパブは宿から歩いて15分ほどの場所にあります。
歩いているとなにやらドキドキとしてきます。
中学生時代の同窓会に出るような気分です。
あの娘(ステーキ)は、あのままであろうか。
もっとも現実には同窓会なんて行ったことはありませんが。
店に着きます。
入り口のドアの前で少し躊躇した後、覚悟を決めえいやっと中に入ります。
そして、目の前にある階段を上がります。
上がりきると、そこには記憶のままの風景が広がっています。
4人がけのテーブルが3列に5席づつくらい並んでいます。
楽しそうに騒ぐ若者のグループ、ビールを飲みながら静かに話すおっさんの二人組み、ひとりでちびちびとウィスキーを飲むおっちゃんなど様々な客で賑わっています。
たった一つ空いていたテーブルにつきます。
ウェイターがうやうやしくメニューを持ってきます。
メニューにはたくさんの種類の料理がのっていますが、注文するものはただひとつ。
ビールと共にたのみます。
あとは待つのみです。
先にビールがきます。
冷えてます。
まさにキンキンという言葉がぴったりときます。
あ~うめ~。
こんなに冷えたビールを飲むのはいつ以来でしょうか。
昨晩のビールも美味かったが、それ以上。
ビールは、よし!
次はいよいよ主役の登場。
そして、ウェイターがこれまたうやうやしく出してきました、お待ちかねのステーキ。
イメージしていたよりもでかい。
肉の上には、甘くなるまで炒めている玉ネギがのっていて、なんともいい匂い。
いいねぇ。
フォークとナイフで切り分ける。
そして、その肉を口の中に放り込む。
肉だ。
噛み応えのある肉。
とろけるように柔らかい肉ではない。
しかし、それでも美味い。
6年前の光景が脳裏に横切ります。
そして、目の前のドミニクも満足そう。
あぁ、来て良かった。
オリパブよ、永遠に。



ドミニクと二人、バスを乗り継いで国境に着きました。
もう最後だと思うと「どこの国?」「名前は?」も鬱陶しく感じません。
笑顔で、日本だよ~と答えます。

いよいよバングラデシュを去る日がやってきました。
来る前は2週間くらいいようかなと考えていたのですが、結局24日間も滞在したことになります。
バングラデシュ、本当におもしろい国でした。
わざわざ訪れるほどの価値のある観光地はありません。
しかし、それを補って余りある外国人と見ると話しかけずにいられない好奇心旺盛な人々が住んでいます。
僕はこれまで長く旅をしてきましたが、その人々の存在感は唯一無二であると言ってもいいでしょう。
なんの取り柄もないただの旅行者である僕にかまってくれてありがとう。
好きです、バングラデシュ。
さようなら、バングラデシュ。
そして、ノーモア、バングラデシュ。

出国手続きを終え、歩いて国境を越え、インドへ向かいます。
インドに入国すると誰も「どこの国?」とは訊いてきません。
すげ~と思いますが、これが普通なんですよね。
あのインドが普通に見えるのです。
国境からバスに乗り、コルカタに着いたのが夜7時。
さっそく近くの酒屋でバングラデシュになかったビールを買い、ドミニクと乾杯!!
喉に突き刺すような炭酸の爽快感がたまりません。
ただいま、インド。



クルナ郊外にあるハゲルハットへ、ロケットスチーマーで一緒であったカナダ人ドミニクと一緒に行きます。
ハゲルハットには15世紀前半に建てられた建築群があり、その内シャイト・コンブス・モスジットは世界遺産にも登録されています。
しかし、これがまたたいしたことはない。
これで世界遺産になるのなら、日本に100個くらい世界遺産があってもよい気がします。
建物よりもその周りに広がる田園風景の中を歩いて、子供たちと遊んだりする方がむしろ楽しいものがあります。
ドミニクが僕に、「遺跡などを見て感激がなくなってくるのは、長い旅の弊害だよね。」と言ってきました。
まさしくその通りです。
もし僕が今、旅を始めた頃ならこのモスクを見てどう思ったのでしょうか。

今日は一日ドミニクと一緒に観光したのですが、誰かと一緒に行動するというのは久しぶりです。
やはり話ながら歩くのは楽しいし、リクシャなどに乗っても割り勘ができるので便利でもあります。
そして、ここバングラデシュでは注目度が半減するといのもありがたい。
「どこの国?」「名前は?」も答えるのも半分で済みます。
しかも、ドミニクが白人で、なおかつ身長が198cmもあるとくりゃ、自然と注目は彼の方に集中することになります。
まぁ考え方によっては、でっかい白人と長髪の東洋人というコンビの方が、一人で歩いているよりも余計目立つかもしれませんが。
それでも二人でいる方が、気がまぎれるってのも事実であります。

ハゲルハットを見終わり、クルナに戻るためバスに乗ります。
車内では若い男の子が興味津々といった様子で僕らを見てきます。
しばらくは見ているだけでしたが、好奇心が抑えきれなくなったのか、意を決するという感じで僕に話しかけてきました。
そして、やはり「どこの国?」と。
日本と答えると、おぉそうかといった感じで納得します。
そして、「バングラデシュはどう思う?」と訊いてきます。
緑が美しい国だし、人々も親切だと答えると、うんうんと嬉しそうです。
そして、彼は僕の横に黙って座っていたドミニクを見ます。
それから再び質問してきます。
「君たちは、兄弟?」

おいおい。



バングラデシュには「ロケットスチーマー」と呼ばれる乗り物があります。
これは宇宙の彼方まで一直線に飛んで行くというものではもちろんなく、「水の国」とも呼ばれるこの国にたくさんある川を走る船であります。
これはその名の通りロケットのようにもの凄いスピードで川面を突っ走っていくというのでももちろんなく、バングラデシュらしくのんびりと進む船です。
外輪船と呼ばれる、船の左右についた二つのパドルをディーゼルエンジンで回して進むという、かなりのオールドスタイルの船であります。
スチーマーと名がつくだけあって、1996年までは本当に蒸気機関で走っていたらしいのです。
そんな船ですからもちろんスピードは遅く、時間がかかります。
ダッカからクルナという町までバスで6時間半で着くのですが、この船では遠回りして行くものの、なんと26時間もかかります。
僕はそんな船に乗ってみたく昨日夕方6時半発のものに乗り込んだのでした。
船室は、1等2等3等の三種類あります。
1等2等には個室とベッドが与えられるのですが、3等はざこ寝となります。
もちろんバングラデシュに疲れきっていた僕は3等に乗る気力があるはずがなく、2等の船室を確保します。
1等に乗らないところが、また僕の人間の小ささでもありますが。
部屋は2名1室なのですが、もう一人はカナダ人の男の人でした。
バングラデシュで会う初めての欧米人です。
これほど欧米人と会って嬉しいと思ったことはありませんでした。
仲間であります。
いろいろと詮索されることもありません。
船は大きな川をとろとろと進んでいきます。
川岸にはそこに住む人々の生活風景も見え、とても長閑です。
こののんびりとした時間は、ブラジルでのアマゾン川での船旅を思い出します。
川にイルカが泳いでいるのを見ることができるも一緒であります。
僕は2等室なのですが、外国人であるため、1等室の区画に入ることが許されました。
船の一番先頭にあるデッキで椅子に座り、本を読みながら過ごす誰にも干渉されない静かなひと時。
26時間、短すぎます。

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