ふたたび旅(アフリカ編 たびタビ旅part2)

約2年4ヶ月の旅(http://zensin.jugem.jp/)からはや5年あまり。もう行かないはずだったのに、3回目の長い旅へ…。我が旅人生堂々の3部作完結アフリカ編!!…のはずです。

2014年07月

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フーイエから次なる国ブルンジに、9時45分くらいにバスに乗り向かいます。フーイエは国境に近く、1時間くらいの距離でしょうか。バスはキガリからブルンジの首都ブシュンブラ行きを途中乗車する形になりますが、料金はキガリからの料金全額を払わなければなりません。僕の分の席を押さえておくためのようなのですが、なんとなく乗る側からしたら納得しずらいですシステムではあります。

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国境に着くとバスを降り、まずはルワンダの出国手続きをします。ルワンダのイミグレオフィサーは、入国の時もそうだったのですが、かなり感じが良いです。ほんとルワンダはいい国です。

手続きを終えると、そのまま歩いて国境を越えて、今度はブルンジ側で入国審査を受けます。今回は、ビザは取得しなければなりません。ブルンジは普通の観光ビザだと90ドルもする上、ブルンジ自体にそれ程観光する場所がないため、3日間だけ滞在できる40ドルのトランジットビザを取得します。3日間で40ドルも少し高いように思いますが…。

イミグレの窓口でトランジットビザを欲しい旨を伝えると、紙になにか書いた物を渡され、向こうの建物でお金を払ってこいと言われます。そこでお金を払うと、領収書みたいな大きな紙を渡されます。どうやらこれがビザのようです。普通はビザはシールとかが多いので、珍しいですね。それを持って再び窓口に行くと、入国スタンプを押してくれました。これでブルンジ、入国です!!

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国境を越えたからと言っても、風景自体はあまり変わりません。相変わらず緑の山々と畑の風景が続きます。違いはコーヒー畑が増えたくらいでしょうか。ブルンジの輸出品の9割近くをコーヒーが占めているようです。それにしても、ウガンダ、ルワンダ、ブルンジとも、首都の大都市とその以外の町は、これが同じ国かと思うくらい町の発展度に違いがあります。

そして、出発して3時間半くらい経った昼の1時過ぎにブシュンブラに着きました。実質今日と明日しか観光する時間はないので、宿にチェックインした後、さっそく街歩きです。

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ブシュンブラはそれなりに大きな町ですが、ウガンダやルワンダの首都の町と比べると、その規模はかなり小さいです。高層ビルはありませんし、カンパラやキガリにあった大型スーパーもありません。

実はブルンジは10年ほど前くらいまで内戦をしていた影響もあり、一人当たりのGNPは世界でワースト2位の国なのです。(ちなみに内戦の原因は、ルワンダと同じくツチ族とフツ族の対立です。昔はツチ族、フツ族の違いなんてものはなかったのに、植民地統治のために無理やり分けてしまったベルギーの罪は大きいと言わざるをえません。)そして、国民幸福量調査みたいなものでは、なんと最下位となったらしいです。

そんな国の首都なのですが、ありがたいことに治安はそれ程悪くはなく、夜は少し危険なようですが、昼間に関しては街を歩く分なら全く問題はありません。

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しかし、ほんと観光する場所はありません。一応ガイドブックに見所の一つと書いてあったセントラルマーケットに行ったみたのですが、なんとそこは何故か閉鎖されていました…。

幸福度で最下位という思い込みがあるのか、人々もなにやら暗い表情をしているように見えてしまい、なんとなくこっちからも声をかけたりしずらいです。そして、物乞いは確実にルワンダなどと比べて多いです。物乞いでなくても普通の人々とちょっと話しても、最後にちょとお金をちょうだいよと言われることもよくあります。

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そんななんとなく手探りしながら街歩きをした初日なのですが、僕の幸福度を下げたことがありました。それは、飯を食う所がほとんどないということです。屋台は全くありませんし、レストラン自体もあることはあるのですが、その数はかなり少なく値段が高そうな所ばかりです。なんとか元セントラルマーケットの近くでローカルっぽい食堂のような場所は見つけましたが、それ程食べたいって感じの物はなく、とりあえず豆料理を食べました。

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せめて夕飯は、肉でもがっつり食いたいなと宿の周辺をウロウロしたのですが、ほんとに食べる場所がないのです。1時間くらい探したのですが、結局食べたのは、軽食屋のような場所で、サモサなどです。移動中でもないのに…。間違いなくこの旅で僕が食べた一番幸せではない夕食です。もう、僕の幸福度はこれ以上下がらないだろうというくらい下がりました。


そして、宿に帰り、明日に備えて早めに寝ることにします。明日は良い食堂が見つかりますようにと祈りつつ…。



ん?

背中がチクチクして、痒いぞ…?

ベッドに目をやると………。


南京虫!!


まだまだ下がる幸福度なのでした。

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キガリを発ち、フーイエ(旧ブタレ)に移動します。バスで2時間半ほどで着きます。ルワンダは四国の1.5倍ほどの国土しかないので、国内の移動に時間がかからないので良いです。

フーイエは、有名な大学もあるようなのですが、特に見るべき所もない小さな街です。1900年代前半のベルギー統治時代に建てられたルワンダで一番大きな教会があるのですが、それ程たいしたものでもありません。

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この街に来たのは、キガリ以外のルワンダの街も見てみたかったのと、この街の近郊にも虐殺記念館がありそこも訪れてみたかったからです。

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急げば一泊でも次の町に移動できそうですが、ルワンダにまだ三泊していないこともあり、ここには二泊してのんびりすることにします。

泊まった宿の部屋は、久しぶりのトイレ、シャワー付の部屋で、嬉しいことにタライまで置いてありました。これは洗濯をしろということか?ということで、のんびりついでにいつも洗わない物もまとめて洗濯します。

まずはバックパック!!僕のはもう通算すると4年以上も旅で使って元々かなり汚いので、少しくらい汚れても気にしていなかったのですが、ナイロビまでのバスに乗った時に何かの粉が水に濡れてネチャネチャしたものがこびりつき浸み込み、かなり大変なことになってしまっていたのです。ただの汚れならば良いのですが、なぜか油っぽくなっていて、変な臭いもしていたのです。

そして、ズボン!!これも久しぶりに洗ったのですが、けっこう水が茶色くなってびっくりしました。その他にもバスタオルや、長袖のシャツなども洗いました。どれも綺麗になり、気持ちいい~!!なかでもびっくりしたのはマネーベルト。なにやらスッパイ臭いも漂うなと思っていたのですが、洗ってみて元々はこんな色だったのかとびっくりしました。


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そして、着いた翌日にムランビ虐殺記念館に行きます。フーイエからバスに乗り45分ほどかけてニャマガベ(旧名ギゴンゴロ)に行き、そこからバイタクに乗って5分ほどで着きます。

ここもキガリの記念館と比べると規模は小さいですが、、同じようにパネルでジェノサイドにいたる歴史や、生存者の証言などがパネルで説明されています。キガリの時は、日本人の団体もいたりとけっこう訪れていた人もいたのですが、ここはやはり地方の小都市だからか、最初から最後までずっと僕一人でした。

その展示物を見終わると、そこのガイドの人が裏手の建物に連れて行ってくれました。その建物の中にはここで殺され、埋められた人達の遺体が、百体以上も石膏ような白いもので固められ、所狭しと横たえられていました。これはルワンダで見てきた物の中で一番ショッキングな光景だったかもしれません。

ここムランビでは何万人もの人が殺されて埋められたようです。フーイエは大学などもありアカデミックな場所で、そういう場所なら虐殺から逃れるかもしれないとたくさんの人達が集まってきたようです。しかし、最終的には大勢の人々が殺されてしまいました。学問の力でも宗教の力でも虐殺は防ぎきれなかったということです。

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帰りは、ニャマガベの街まで歩いて帰りました。その道中の風景は、このような緑の山々の中に畑が広がっています。と言うか、ルワンダでは、キガリの街以外、ずっとこのような風景が広がっています。こんなのんびりとした場所なんですがね~。

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ルワンダは、街は綺麗ですが、残念ながらそれに反比例するように、街歩きはあまり面白くありません。それほど活気を感じないからです。そして、僕をさらにいっそうつまらなくさせるのは、屋台が全くないということです。かしこまったレストランに入って、食べなければならないのです。そして、レストランの数自体も少ないのです。ウガンダが食に関しては僕を興奮させてくれただけに、がっかりであります。

そんな僕を喜ばせてくれたことは、ルワンダでは昼はどこのレストランでもバフェットをやっているのです。好きなものを取り放題です!!

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しかし、残念なことは、おかわりはできないのです。ですから、最初に料理を取る時にどれだけお皿に盛ることができるのかが勝負となります。僕は最初はあんまり盛り過ぎるのもかっこ悪いかなと少し遠慮していたのですが、周りのルワンダ人を見るとこれでもか!というくらい盛っているんで、僕も負けずに富士山のように盛りました。

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料理の味付けの方はどこの店もなかなか良いです。まあこれだけたくさんいろんな物を盛りゃ、味どころではないような気もしますが…。

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そして、このバフェットスタイル、もう一つ残念なことがあります。それは、肉や魚は好きなだけ取れないということです。どこの店でもだいたい一切れくらしか取ることができません。ですから炭水化物ばかり食べることになります。肉好きの僕としてはちょっと欲求不満です。これだけたくさん食べてもすぐにお腹がすくように感じるのは、そのせいでしょうか。胃袋が大きくなっていないことを祈るのみでございます…。

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街の中心部ではかしこまったレストランばかりしかありませんでしたが、ちょっと離れてごちゃごちゃと活気があるバスターミナル周辺ではちょっとした安食堂っぽい所もありました。

そこでは一品料理もあり、値段もバフェットの半額位と安く食べることができました。まあそこでも肉は、申し訳程度にほんの一切れしか付いてきませんでしたが…。

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夜はバフェットをやっていな店が多いです。なのでレバー料理とフライドポテトとかを食いながら、ビールを飲んでました。

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オムレツも美味かったです。ビールにあいます。東アフリカの国々のビールは美味いのですが、ルワンダもなかなかです。


そんな感じでひたすら皿に料理を盛り続けたルワンダでございました。




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ルワンダを語る上で忘れてならないことが、「ジェノサイド」です。いわゆる大虐殺です。ほんの20年前の1994年の4月から約100日間に、50万人から100万人ものルワンダ国民が虐殺されたのです。この数字は当時のルワンダ国民の10~20%占めます。

ルワンダにはツチ族とフツ族の二つの民族がいます。国民の圧倒的多数を占めるのはフツ族なのですが、少数派のツチ族が国の実権を握っていたため、それが民族対立につながり、最終的にフツ族によるツチ族の虐殺となってしまったのです。

話は少しそれますが、そもそも少数派のツチ族が力を持っているのは、ベルギーによる植民地化が原因であります。ヨーロッパの国々がある国を植民地にして支配しようとする時、植民地運営のテクニックとして、自ら直接的に指示するのではなく、その国の少数民族、もしくは他国の民族に権力を与え間接的に影響力を与えることが多いようです。そうすると植民地にされた国の人々の不満は、ヨーロッパの国だけではなく、その権力を与えられた少数民族の方に向けられるわけです。さすがに植民地の歴史が長いだけあって、よく考えられたシステムですね。

そして、ルワンダでは、独立した後も少数派のツチ族の優位性が維持され、このような悲しい事件へと発展していってしまったのです。


しかし、現在のルワンダを訪れても、そういった事がほんの20年前に起こったということを感じさせる物はほとんどありません。むしろ前回のブログでも書いたように、現在では治安も良く、人々も穏やかで、そういった事から一番遠い場所のようにさえ思えます。

それでも、やはりジェノサイドが起こったことは事実であり、キガリ、及びその近郊にもその傷跡が残されています。それらを二日間に分けて見てきたので、それを紹介したいと思います。

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まずは街の中心部からバイタクで10分ほど走った所にある「キガリ虐殺記念館」です。ここではジェノサイドが起こった原因や経緯が分かりやすく解説されています。生々しい死体の写真や、生存者の証言の映像などもあるので、このジェノサイドの悲惨さが伝わってきます。また過去、世界中で起こったジェノサイドについても展示されています。

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そして、街の中心南部にある、日本語でなんというのか分かりませんが、英語では「Camp Kigali Memorial」と呼ばれる所。ここは当時、国連の平和維持軍として滞在していたベルギー軍の兵士10名が、ジェノサイドが始まった初日に殺された場所です。その当時の生々しい銃痕が残っています。兵士だけでなく、一般のベルギー人11名もこのジェノサイド時に殺されたようです。

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映画「ホテルルワンダ」の舞台となったホテルミルコリンズです。残念ながら僕はこの映画は未見ですが、ジェノサイド時にここのマネージャーが自分の身の危険をおかしてまで、ツチ族の人々をここでかくまったようですね。

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このホテルは今も営業しているのですが、もちろん僕はこんな高いホテルには泊まることはできません。しかし、誰でも気軽に庭にあるレストランで食事をすることができます。僕もとりあえずコーヒーを飲んみます。。映画を観ていたら、もっと感慨深かっただろうにな~。何度もレンタルビデオ屋で手に取ったことがあったのですが、それを借りずに棚に戻したことが悔やまれます。

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二日目に訪れた、キガリからバスで45分ほど行った所にあるニャマタとう街にある元教会。現在は虐殺記念館として保存されています。ジェノサイドが行われ時に、避難場所として教会に逃れてきたのですが、逆にここでも壮絶な虐殺が行われたようです。ここだけで2000人以上の人が殺されたようです。教会の中には殺された人々が着ていた服などが山のように積まれていました。

そして、教会の建物の裏手にお墓があります。そのお墓の地下にも入ることができるのですが、そこの棚には殺された人々の頭蓋骨や手足の骨などがぎっしりと並べられています。

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ニャマタの教会からキガリ方面に5キロほど戻った所にあるンタラマ(NTARAMA)の教会。ここでもニャマタと同じく大勢の人々が虐殺されました。やはり教会の中には殺された人々の遺骨や服などがたくさん置かれていました。そして、教会の裏手に小さな建物があるのですが、そこの中の壁にはどす黒く汚れている場所があります。ガイドによるとそれは子供や赤ちゃんをそこに叩きつけて殺した跡だということでした。


これらがキガリで僕が訪れた虐殺関連の施設であります。これらを見て感じたことは、かなり残虐であるということです。ただ殺すだけではなく、どれだけ苦痛を与え殺すかを考えていたかのようです。女性はレイプをされてから殺されました。殺されずにすんでも、それが原因でエイズとなった人もたくさんいるようです。

そして、これはほんの20年前のことです。20年前といえば、僕は大学生です。アルバイトをしたり、友達と遊んだり、酒を飲んだりと普通の生活をしている時に、ルワンダではこのような虐殺が行われていたのです。むかし、昔の戦争の話ではないのです。現代の話なのです。




二日間、回ってみて、いろいろなことを考えさせられました。やはりこういうことは二度と起こって欲しくはありません。しかし、残念ながらまた起こってしまうだろうとも思ってしまうのです。人間は、所詮、残虐で、そして、弱い生き物ではないかと思ってしまうからです。

このルワンダのジェノサイドは、殺す対象としたのをツチ族だけでなく、ツチ族をかばう穏健派のフツ族も含めているなど徹底的なものだったようです。突発的に起こってしまったということでもなく、かなり計画的にシステマティックに行われたようです。長い間の対立はあっただろうけど、しっかりと冷静に準備して相手をこの世から抹殺してしまおうとするのは、やはり人間の残虐性を表しているのではないでしょうか。

そして、誰もが人を殺してはいけないということを知っています。しかし、それを好むと好まらずにもかかわらず人を殺さなければならない状況になったなら、自分の命を捨ててまでも、それを拒める人というのはほとんどいないのでしょうか。日本でもイジメの問題がよく取り上げられていますが、イジメはもちろんみんなしてはいけないことは分かっているし、それを止めても命までとられるわけもないのに、みんな傍観者になったり加害者に加わってしまうのです。そういう意味で、人間はかなり弱い生き物だと思うのです。

ですから、またどこかいつか起こってしまう気がするのです。それを防ぐためには、人間を性善説ではなく性悪説で捉える必要があるのではないでしょうか。ですから、どうやって防ぐということを考えるだけではなく、起こったらどう対処するかということを考える必要があると思います。例えば、そのような事件が起これば、すぐに国連の平和維持軍が介入できるなどのシステム作るとかです。しかし、このルワンダの虐殺を行った側に対して軍事的な訓練をしていたのはフランスだったようですし、いろんな国の思惑が重なると難しいこともあるのでしょうね。そんなことを考えると、絶望的な気持ちにもなってきます。


しかし、そんな痛ましい事件を乗り越え、良い方向に進んで行っているようにみえるルワンダを見ると、人間も悪いことばかりじゃないんだと少しは希望が持てる気がしてきます。




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ルワンダは、ここはアフリカか?と思うくらい、規律があり整然としています。昨日のブルグで述べたように、街にはゴミがほとんど落ちていません。発展途上国の国では、アフリカに限らず、ゴミを道路に捨てることになんの罪悪感を持っていません。バスとかに乗っていても、窓からぽんぽんとゴミを投げ捨てていきます。しかし、ここではそんなことは全くありません。

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そして、他の国のように、街中がクラクションで鳴り響いているということもありません。きちんと秩序がある社会なのです。まるで日本です。なぜアフリカにこんな国が存在できるのでしょうか。

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バイクタクシーにしても、ちゃんととユニフォームを着用しています。やはりきちんとしているのです。バスに乗っても、ちゃんと値段が印刷された切符を渡されます。ぼってこないのです。

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バイタクに乗ると、乗客であってもヘルメットを渡され、ちゃんとかぶらなければなりません。ここはアフリカですよ?

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人々は、穏やかで、親切で、フレンドリーです。治安もアフリカで最も良い国の一つです。夜も安心して外を歩くことができます。こんなに緊張感もなく過ごすのは久しぶりです。アフリカなのに…。

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そんな環境の国ですから、外国からの資本もたくさん入ってくるのでしょうか、「アフリカの奇跡」と言われるくらいの経済成長をしているようです。街中でもいたる所で、新しい建築物を建設している現場を見ることができます。



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そんなキガリの街をぶらぶらと歩いていると、映画祭の説明を受けました。ルワンダの映画を中心に世界中の映画を上映しているようですが、今年はゲストの国として中国映画を紹介しているようです。そして、ちょうど今晩夜8時より「グランドマスター」という映画を上映するようです。しかも、無料です。誰でも観に行っても良いようなので、興味があった映画だったこともあり行ってみることにします。

上映に先立ち、中国大使館の大使のスピーチもあり、なかなか厳粛な雰囲気です。僕には場違いのような気がしましたが、生まれ持った気品でなんとかカバーいたします。

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そして、映画館もかなり綺麗な最新設備のものです。ウガンダとは大違い。これこそ映画館です。空調も申し分ありません。あまりの心地よさにちょっと寝てしまいましたが…。


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上映が終わった時は、ゆうに10時を越えていましたが、安心して、宿まで歩いて帰ることができるこの嬉しさ。アフリカなのに…。ルワンダ、ほんと不思議な国です。

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ルワンダに向かいます。国境までは10キロほどなのですが、バスや乗合タクシーなどは走っていないため、バイクタクシーで行くしかありません。昨日、ピグミー族の村に行った時に乗ったバイタクの兄ちゃんがなかなか感じが良かったので、今日も乗せて行ってもらうように頼んでいました。朝9時に宿の前にいなかったら他のバイタクで行っちゃうよと言っておいたら、ちゃんと9時前に来ておりました。アフリカ人もやればできるんです!
 
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キソロの横にそびえる山。名前は忘れちゃいましたが、とんがった形がかっこ良い。バイタクの兄ちゃんに訊いたら、往復9時間ほどで登ることができるみたいなんで、いつか登ってみたいな。……ってまた来るつもりかい!!と自分で突っ込みを入れときます。でも、今回は全く登っていませんが、ウガンダにはけっこういい山がたくさんあるみたいですよ。


15分くらいで国境に着いて、そこから歩いてルワンダに向かいます。普通、陸路で国境を越える場合、まず出国手続きをして、それから国境を越えて、今度は入国手続きをすることになります。今回もそのつもりで、まずウガンダのイミグレに行きますが、出国の手続きはルワンダのイミグレでするから、行っていいと言われます。なんか意味が分からないのですが、言われた通りにルワンダに向かいます。頭の中に???が浮かびますが、言われた通りにするしかありません。

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そして、国境のゲートを越えます。そして、イミグレの建物に向かおうとしますが、そこにいた警官に呼び止められます。何かと近づいていくと、どうやら先に荷物検査のようです。

そうなんです、ルワンダには、持ち込んでいけない物があるのです。アルコール?タバコ?電化製品?…違うのです。なんとビニール袋を持ち込んではいけないのです。ルワンダでは環境保護のためにビニール袋の使用が禁止されているのです。スーパーで買い物しても商品は紙袋に入れられます。なので外からの持ち込みも禁止されているのです。ヨーロッパのどっかの国ならまだ納得もできそうなんですが、アフリカでそんな国があるなんて驚きですね!

しかし、この規則、僕にとってはけっこう厄介なことなんです。何故かというと、ザックカバーを使っていない僕は、たとえバックパックが濡れてもいいように中の物をビニール袋に個別に入れているのです。もちろん荷物の種類によって袋に入れておけば整理しやすいというのも、もちろんあります。ですから、ビニール袋を使うなと言われても、困ってしまうわけです。

それでも、ルワンダに入国したことがある人の話を聞くと、旅行者へのチェックはけっこうゆるく、軽くしか荷物を見ないことが多く、ちょっとビニール袋があったとしても見逃してくれることが多いようです。なので、バックパックを開けた時に見えやすい上の方の荷物だけビニール袋を外します。これで大丈夫でしょう。

……のはずだったのですが、なんと僕の担当のこの警察官の兄ちゃん、軽く覗くだけではなく、なんと中の荷物を出せといいやがります。なので上の方の荷物をいくつか出したのですが、なんとなんと、全部出せ!っと言うじゃありませんか。な~に~!!そりゃないよ~。そして、結局、下の方に入れていたビニール袋は全部没収となったのでした。なんてついてないんだ……。ここ最近、国境越え運?があまりないようですね…。

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そうして、ようやくイミグレです。ルワンダ側のイミグレの建物には、本当にウガンダの出国手続き窓口とルワンダの入国手続き窓口が並んでありました。便利は便利ですが、なんでこんなことになっているのかほんと不思議であります。

まあそんな感じでいろいろありましたが、無事ルワンダに入国です!!記念にルワンダでも観光の目玉となっているゴリラの像とイミグレの写真をパチリ!!もちろん今回はきっちり警官に撮っていいか?と確認をとってから撮りましたが…。
 
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国境からはまず乗合タクシーに乗り、緑の山々の中を走り、1時間かけてムサンゼという町まで行きます。そこからミニバスに乗り換え、2時間弱で今日の目的地の首都キガリに到着です。

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泊まろうと考えていてたユースホステルが満室で断られて、宿探しにちょっとバタバタしましたが、なんとか町の中心部の宿にチェックイン。中心部ってこともあると思いますが、ビニール袋禁止する国だけあって、街はゴミもほとんど落ちていなくてほんとここアフリカ?って感じであります。これじゃ、おちおちポイ捨てもできないってもんです。いや、もちろん、いつもそんなことはしてないっすよ~。

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カンパラから夜行バスで8時間かけて、ルワンダ国境近くの町キソロに移動しました。キソロは、標高2000mほどあるためか、移動中のバスの中はかなり寒かったです。開けていた窓を閉めたのですが、一番前の席に座っていた僕の隣にいたドライバーに、換気をしたいので窓を開けてくれと言われ、しぶしぶ冷たい風に震えながら一晩を過ごしました。まあ、運転手に居眠りされて事故を起こされるよりはましですがね。

それにしても、アフリカに来るまでは、アフリカとは暑い所という認識があったのですが、スーダンなどを除き、大部分の日々を涼しく快適に過ごしています。標高が高い所が多いというのがその理由なのですが、やはり実際に来てみないと分からないことってありますね。

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キソロは、かなり小さな町で、街自体にはなんの見所はありません。それでもここには多くの旅行者が訪れます。その理由は、ここが野生のマウンテンゴリラを見に行くための拠点となっているからです。

しかし、僕が訪れたのはそのためではありません。僕もゴリラを見たいのはやまやまなのですが、そのための費用がかなり高額なのです。ハイシーズンの今はパーミッションだけでも500ドルかかり、更にもろもろの費用がかかり、1000ドル近くかかるようです。いくらなんでもゴリラのためだけにそんなに払うことはできないので断念いたしました。

それならば、なんのためにここに来たのか?それはピグミー族の人々と会うためなのです。ピグミー族とは、成人になっても身長が150cmに届かない民族の総称です。中央アフリカのいくつかの地域にいるのですが、ここウガンダのキソロにも住んでいるのです。せっかくなので是非とも会ってみたい!

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宿に併設されている旅行代理店で、70000シリング(約2800円)のピグミー族の村を訪れるツアーに申し込みます。 

朝10時にガイドのお姉ちゃんと二人、それぞれボタボタ(バイクタクシー)に乗り、村へ向かいます。

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しばらく舗装された道路を走った後、凸凹した脇道に入り、20分ほどで村へ到着します。

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さっそく村を案内してもらいます。確かに人々は小さいです。そして、身体にあわせるかのように家も小さいのです。

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ガイドのねえちゃんの説明によると、昔は山に住んでいて動物を捕まえたりと狩猟生活をしていたようですが、もともと住んでいた地域が国立公園に指定するに伴い、この辺りに移住させられたようなのです。

そして、ガイドブックを読んだところ、ウガンダではピグミー族は差別されることが多いようです。収入もかなり少なく、生活環境もかなり悪いようです。実際、見せてもらった家もかなり質素なものでした。

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一通り村を案内してもらった後、村人が踊りを見せてくれることになりました。おばちゃんが太鼓を叩きだします。村人の多くはどこかへ出かけているようで、人数が少ないのがちょっと残念…。

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太鼓のリズムにあわせて、男の人たちと子供たちが踊り始めます。

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太鼓の音が聞こえたのか、どこからともなく村人がたくさん集まってきます。

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みんな、楽しそう~。

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かなり人数が増えてきましたよ~。

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僕のために披露してくれているのですが、そんなこと関係なしに楽しんで踊っているように見えるので、僕としても嬉しくなってきます。

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ということで、僕も一緒に踊らせてもらいます!!

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いや~楽しいですね~。

そんな30分ほどの短い村の滞在でしたが、なんとも素朴で陽気な人々と楽しい時間を過ごせました。


しかし、やはりなんとなく物悲しい気持ちになったのも事実です。

エチオピアやケニアでもたくさんの少数民族の人々に会ってきました。彼らは物質的には貧しいかもしれませんが、しっかりと自分らの文化を守り、プライドを持って生きているように思えました。しかし、自分たちの生活様式、文化を無理やり奪わたピグミー族の人達は、やはり、寂しそうに見えてしまうのです。

そんな彼らが、いつの日か、誇りを持って生きていけることができる日々が訪れることを願わずにはおられません。



 

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ウガンダに来た当初は、食べることに関しては、ほとんど期待していませんでした。どうせケニアと同じように、チキンとフライドポテトばかりじゃないかと…。

しかし、嬉しいことにその予想はすぐに裏切られることになりました。なんと言っても、市場と屋台の存在が大きいです。それらがあるということは、安くて美味い物が食えるのです。特にエチオピア、ケニアと屋台とあまり出会えなかった国を旅してきた後だけに、よけいに嬉しさが増したのかもしれません。

それでは、ウガンダでどんな物を食っているのか、ご紹介いたしましょう~。

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市場に行くとこんな感じで料理を見ることができます。自分の目で見て、そして、美味しそうな物を指で差して選べるって楽しい~。

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そして、まずウガンダの食べ物で語らなければならない物、それは、マトケです。それは何かというと、バナナのことなのです。日本人が米を主食とするように、ウガンダの人々はバナナを蒸したものを主食としているのです。

日本人の感覚からすると、バナナを主食?と思うかもしれませんが、実際にここで食べてみると全く納得できる味です。甘さはほとんどなく、味はちょっと酸味のあるポテトと言った方がいいかもしれません。

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こんなまだ青々としたバナナを使います。

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そして皮を剥いて、蒸してマッシュポテトのように潰すと出来上がりです。

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これは、マトケと魚の煮物です。やはりビクトリア湖があるということで、魚料理もよく見かけます。

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これは潰さずにバナナの形が残っていますね。しかし、主食として食べるのはマトケばかりではなく、ウガリやイモなどもよく食べています。

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そして、僕には嬉しいことに、ケニアと同じようにやはりよくお米も食べられています。スーパーのフードコートに行っても、焼き飯が売ってました。

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炊き込みご飯屋さんもあります。
 
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豆も良く食べられていますね。

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この料理なんてもう完全に東南アジアのぶっかけご飯ですよね~。

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チャパティーもよく食べられており、街角にもチャパティーを売る屋台もたくさん見かけます。そのチャパティーはそのまま食べたり、中にキャベツの千切りとトマトや玉子を巻いたりして食べたりします。しかし、甘い物が好きな僕としては、ジャムやコンデンスミルクなどで味付けした物を食べたいのですがね~。あまりウガンダ人は甘い物が好きではないようです。

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これもチャパティーを使った料理なんですが、チャパティーをざく切りに切って、そこに豆のスープをかけたものです。これはスープに浸ったチャパティーがつるっとした歯ごたえになって、けっこう美味いです。さらに安いのが嬉しい。

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もちろん、ケニアと同じように、チキンとフライドポテトもあります。しかし、アボカドとトマトとタマネギが添えられているところが嬉しい。というかあるだけで料理としての完成度がグンっと上がりますね。

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そして、僕が個人的に見つけてめっちゃ嬉しかった、豚足ならぬ牛足のスープ。こんな料理、僕大好きです!!

その他にも串にさした焼き肉の屋台などもあり、ウガンダの食事はかなり満足なのであります。

ケニアとはまた違った意味で、またまた体重が増えていきそうです…。

 

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カンパラの宿は街の中心部から4、5キロ離れた場所にある「Backpackers Hostel」です。中心部から行くには、乗合タクシーかバイクタクシー(ボタボタ)に乗らなくてはならないので、若干不便ではありますが、やはり居心地は良いのです。

バックパッカーズと名乗っているだけあって、泊まっているのはヨーロッパなどの外国人の旅行者だけです。そして、外国人の好きそうなバーなどが併設されていています。 

普通のローカルのホテルよりは若干高いかもしれませんが、やはり泊まっているのが同じ旅行者だけというのは、荷物の盗難の心配も減りますし、リラックスできます。この敷地内にいる限りは、アフリカを旅していることを忘れることができます。それが良いことか悪いことかさておき、やはりたまにはそんな心地よい時間も欲しいものです。

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そんなカンパラの宿ですが、ここで思わぬ再会がありました。ここにチェックインした後、日本人の男の人がいたので話しかけてみました。彼は僕とは反対に南からアフリカを北上してきているところなので、いろいろな情報を教えてもらいました。

でも、話をしながらなんとなく引っかかるものがあるのです。この人とどこかで会ったような気がするのです。しかし、どこであったか全く思い出せません。もしかして、南米だったかな~。いや~覚えてないな~。それともFacebookの友達のその友達だったりするのかな~とか考えてました。しかし、やっぱりどうしても思い出せません。

すると、向こうもやはり気になっていたようで、どこかで会ったことありません?と訊いてきました。そして、二人でいろいろと確認しあうと、分かりました。僕らはやっぱり出会っていたのです。それは……。

なんと6、7年も前にグルジアの首都トビリシの宿でその年の年越しを一緒に過ごしたのです!!今まで、いろんな再会をしてきましたが、まさか6、7年もの期間をはさみ、グルジアとウガンダで偶然に会う。ほんと旅人の世界は狭いって再確認させられました。

しかし、やっぱり相手は男だったんですよね~。ほんとこれが女性なら無理やりでも運命にこじつけてみるのですがね~。

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そして、ここでは、ワールドカップをじっくりと堪能できました。エチオピアでのあの日本戦を見るための苦労が嘘のように、ここでは快適にテレビ観戦できます。

準決勝、決勝とみんなでビールを飲みながら歓声をあげながら観戦!!ほんとサッカーは全世界共通のスポーツですね。

さてさて、ワールドカップもドイツの優勝で無事幕を閉じたし、ぼちぼち次の町へ移動しましょうか。次のワールドカップはどこで見てるのでしょうかね~。 

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ジンジャの街で泊まっている宿の隣の敷地でなにか催し物をやっていました。簡易遊園地のようなものです。

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この日は平日の金曜日だったのですが、来ているのは学校のユニフォームらしきものを着た子供たちばかりです。それも多くの学校から訪れているようです。駐車場にもバスがたくさん乗りつけてありました。

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学校の制服はアフリカらしく、カラフルで華やかです。日本じゃ、こんな黄色や赤一色の制服なんて考えられませんね。

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そして、子供たちの髪型はみんな丸坊主です。男の子が全員ではなく、女の子も丸坊主なのです。これも日本では考えられませんね。と言っても、大人でも男の人は99パーセントは丸坊主ですし、女性でもたまに丸坊主の方も見かけるのですが。

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この催し物に興味がありましたが、学生のためのものなのかと思い、見るだけにしていたのですが、翌日の土曜日に前を通ると、一般の人がたくさん並んでいるではありませんか。なので、僕もせっかくなので4000シリング(約160円)を払い、入場してみることにします。

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置かれたビール瓶などに向かって輪投げをするゲーム。祭りらしい催し物です。

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これは100シリング(約4円)硬貨を投げて、数字が書かれたコマの中にうまいこと枠に触れずに入れるゲーム。簡単そうに見えたので、僕もやってみましたが、全く上手いこといきませんでした…。

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これも子供たちには嬉しいですよね。もちろんこれは僕はできませんが…。

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これは子供用の空中ブランコ。

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低音の音楽がずんずん鳴り響くこのほったて小屋みたいなのはなんだ?と思い、近づいてみるとどうやらクラブのようでした。

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入口の前にいた兄ちゃんたちもノリノリです。

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これはよくサーカスである、中をバイクがぐるんぐるん走るやつですね。

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顔のペイント屋さん。祭り気分が盛り上がります。子供たちも大勢していて可愛かったです。

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洋服や雑貨を売る露店もたくさん出ていました。

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もちろん食べ物を売る屋台もたくさん!!でも、残念なことに甘い物は売ってないんですよね。日本でもほとんど食ったことはないのですが、何故かリンゴ飴が食べたくなってしまいました。

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そこから中から大ボリュームで音楽が鳴り響き、小さなステージもそこら中にたくさんあり、そこでダンスを踊っていたりしてました。

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日が沈み暗くなっていくと、更に人の数が増えていき、活気が増していきます。

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僕は1時間くらいで宿に戻りましたが、明け方近くまで宿にはズンズンとここの音楽が鳴り響いていました。次の日の朝、宿の従業員も、昨日は夜3時まで踊っていた~と眠そうな目をこすりながら起きてきましたが。

夏祭り、そろそろ日本もそういう季節ですよね~。ちょっと日本が恋しくなったジンジャの祭りでした。

 

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