ふたたび旅(アフリカ編 たびタビ旅part2)

約2年4ヶ月の旅(http://zensin.jugem.jp/)からはや5年あまり。もう行かないはずだったのに、3回目の長い旅へ…。我が旅人生堂々の3部作完結アフリカ編!!…のはずです。

カテゴリ: ラオス



朝7時頃、モンラーから国境のある町モーハンまで乗り合いワゴンで移動します。
モーハンには8時前に着きましたが、イミグレーションは開いていません。
8時半にオープンするというのでしばらく待ちます。
すると小太りのおばちゃんが近寄ってきます。
そして、チェンジマネー?と訊いてきます。
そうだラオスのお金を用意しておかなければならない。
交渉をした末、1元1300Kのレートでしてくれるというので、200元を両替してもらうことにします。
200元は260000Kとなります。
おばちゃんは20000K札を取り出し、1、2、3と数えまず10枚200000Kを渡してくれます。
数えると確かに200000Kあります。
次におばちゃんは、2000K札を取り出し、1、2、3と数え渡してきます。
よしよしこれで260000Kか‥‥?
ん?
って、これじゃ206000Kじゃねぇか。
このババぁ。
まったく油断も隙もあったもんじゃありません。

中国の出国手続きを終えた後、トゥクトゥクに乗り3kmほど離れた場所にあるラオスのイミグレへ向かいます。
ラオスは現在、日本人は15日間はノービザで滞在することができます。
ビザ取得の手続きに煩らわされるこのもなく、お金も払わなくていいなんて嬉しいかぎりです。
簡単にさっさっと入国手続きを済ませ、ラオス入国で~す。
いや~実に7年ぶりですね。
ここは前回の旅でかなり印象に残っている国です。
ラオスは90年代半ばよりやっと個人で自由に旅ができるようになったばかりなので、人はすれてなく親切で、山あり川あり島ありと大自然が残っており、移動はおんぼろバスやトラックで雨でぬかるんだ道をたまに乗客全員で押して進む、そんななんともバックパッカー旅情緒?を味わえる国であったのです。
そこで出会い一緒に旅したメンバーも良く、本当に楽しい旅でありました。
しかし、7年ぶり。
7年ぶりと言えば日本でも街の様子はけっこう変わってしまうでしょう。
観光客の数もかなり増えていると思われるラオス、果たしてどのようになっているのでしょうか。

国境からルアンパパーンという町を目指します。
事前に調べた情報によると、まずウドムサイという町まで行き、そこでバスを乗り換え行けるということでした。
なのでウドムサイ行きのバスを探します。
地元の人にどこからバスが出るのかと訪ねますが、みんな首を捻って困ったような顔をして分からないといいます。
言葉がうまく通じないというのもありはっきりと分からないのですが、どうやらウドムサイに直接行くバスはないようなのです。
一日に2、3本はあるはずなんですけどね。
さてどうしようかと思っていると、中国、昆明からルアンパパーンに向かう直通の国際バスが国境を越えてやってきました。
それを見ると地元の人は、あれに乗れあれに乗れと僕に言ってきてくれます。
いや~できればローカルバスで行きたいのだけれどね。
しかし、ローカルバスが本当にあるのかどうかも分からないし、国際バスの値段を訊いてみると案外と高くなかったため、結局そのバスに乗ることにしました。
こんなことなら昆明で素直にルアンパパーン行きの直通バスのチケットを買っとけば良かったです。
それの方が国境あたりのミニワゴン代とかも払わずにすんで、結局安くついたかもしれないのに。
まっ、いっか。

そのバスも寝台バスでした。
車内はがらがらで、そのため二人用のベッドを一人で使うことができて、すごく快適です。
凸凹道をおんぼろバスに揺られ旅したラオスはこんなに優雅に旅ができるなんて夢のようです。
やはりラオスも変わってきています。
ラオス側の国境の町にもたくさんの漢字の看板を見ることができ、やはり中国人がかなり進出してきていることが分かります。
これからもどんどんとその影響が強くなって行き、どんどんと変わっていってしまうのでしょうか。
そう考えるとラオスに人々にとっては良いことかもしれませんが、ちょっと寂しい気もしてきます。

そんな快適なバスのベッドに横になりながら、窓の外の景色を眺めます。
辺り一面、熱帯の濃い緑のジャングルが広がっています。
道路沿いには高床式の簡素な木でできた家がぽつんぽつんと建っています。
その家の前では素っ裸の子供たちが遊んでいます。
いや~ラオスですね。
これは変わってないですね。
ちょっと嬉しい。
それにしてもここをこんなバスが通れるようになったってことは、やはり道路の状況もかなり改善されたってことなのでしょうか。
これはこれでありがたいことです。
っと思ったら、突然バスが進まなくなります。
エンジン音が唸りをあげてもむなしくタイヤが空回りする音が聞こえるだけです。
どうやら泥濘にはまり込んでしまったようです。
そして、やっとのことでそこから抜け出すことができたのは、実に3時間後のことでありました。
やっぱりラオスはラオスでした。
でも、やっぱりちょっと嬉しい。



ルアンパパーンは1353年にラオス初の統一国家ラーンサーン王国の王都となって以来6世紀にわたり栄華を誇った古都であります。
現在でも街中にはたくさんの古い寺院が残っており、早朝には僧侶たちが列になり托鉢に回り、人々がもち米を施す光景を見ることができます。
そんな世界遺産にも登録されているい町なので、ラオス随一の観光ポイントとしてたくさんの観光客が訪れています。
果たしてそんな町は7年という月日が経過してどのように変化しているのか。
ちょっと心配しつつ歩いてみます。
歩くにつれ少しつづ昔の記憶が蘇ってきます。
そう言えばここにお寺があったな、この通りに見覚えがあるぞ、ここで飯をくったな‥。
懐かしいです。
しかし、やっぱり変わっています。
観光客向けのおしゃれな飲食店、ホテルの数が圧倒的に増えているのです。
昔、民家だったような所が、そういった店に変わってしまっています。
ちょっと寂しいような気もしますが、これは致し方ないことでしょう。
それでも町の雰囲気を壊すように騒がしくなっているという訳ではなく、あくまでも上品に整備されているといった趣です。
世界遺産ということで色々と規制があるからでしょうか。
そうならば世界遺産登録というものも十分価値のある制度と言えるかもしれませんね。

そして、物価が案外高いなという印象を受けました。
特に食に関するものがそう感じます。
屋台でちょっとしたヌードルを食べても1ドルくらいかかります。
500mlペットの飲料も1ドルくらいします。
最初はツーリストだからぼられているのかとも思いましたが、どうやらそうでもないようです。
感覚的に中国の2倍弱くらいな感じがします。
やはり中国は食に関しては素晴らしい国であると再認識します。(あくまでも「食」に関してですが‥‥。)
その点ラオスは、値段、味ともにいまいちだと言ってもいいかもしれません。
きちんと調べればあるのかもしれませんが、僕が街角で食べるレベルでは、これはタイやベトナムの料理じゃないのかと思う物や、単に火で焼いただけというような単純な物が多く、これがラオス料理といった特色のあるものはないように思えます。
やはりある程度、経済的に豊かにならなければ、食というものは究められていかないものなのでしょうか。

しかし、そういったこのラオスで僕が楽しみにしていた食べ物があったのです。
それは「カオニャオ」です。
僕はそれを食べるためにここラオスに来たとさえ言ってもいいかもしれません。
あのなんとも言えない奥深い味わい。
ああ~想像するだけで涎がでてきそうです。
カオニャオ‥‥。
それはいったい何かと言いますと、‥‥単なる「もち米」なんです。
他の多くのアジアの国々と同じで主食は米なんですが、何故かここラオスではもち米なんです。
味付けもなにもないただ普通に炊いただけのご飯なんです。
日本でもち米を食ったってそんなに美味しいとは思ったことはないんですけど、ここラオスで食うもち米は美味く感じます。
屋台で買った豚肉やチキンのバーベキューをおかずに、少し粘ついたカオニャオを手で少しづつちぎりながら食う。
ん~たまりません。
ちょっと量が多かったかなと思っても、不思議と食いきってしまいます。
観光客が増えようと、町の景色が変わろうと、この味は不変であります。



ラオスはのんびりという言葉が一番似合う国です。
すべての時間がゆったりと流れています。
今の季節かなり蒸し暑くて洗濯物を干して一日経っても乾かないくらいなのですが、そんなねっとりとした空気もさらに時間の流れを遅くしているようにも感じます。
身も心もとけてしまいそうです。
やっぱりいいです、東南アジア。
僕は今まで中南米などを旅してきても、強盗などの怖い目に遭うことはなかったのですが、やはり街を歩く時は心の奥底に軽い緊張感を持っていたと思います。
しかし、ここラオスなど東南アジアに来ると、心の底から完全にリラックスする自分に気がつきます。
何回か訪れているというのもありますが、東南アジアは旅行者が多く、比較的英語が通じやく、強盗といった暴力的な犯罪もほとんどなく、人々も穏やかであるというのがその原因だと思います。
あまり油断するのも良くないなとも思うのですが、やはりリラックスしてだら~っとしてしまうのです。

そんなすっかり弛緩しきった僕をさらにふにゃふにゃにしてしまう物が、ここラオスにはあります。
それは、「薬草サウナ」です。
スチームサウナなんですが蒸気の出るところにハーブを置いて、良い匂いがするのです。
東南アジアにはあまりサウナに入るという習慣はないようなのですが、ここラオスにはたくさんあり地元の人も大勢入りにきています。
そんなサウナに入っていると、汗をたくさんかく上に、ハーブの香りで癒され、心身共にリラックスできます。
サウナ好きの僕にはたまりません。
そして、暑さに耐え切れなくなると外に出て体を冷やすということを繰り返し一時間くらい堪能した後は、そこでマッサージを受けることもできます。
1時間40000K(約550円)とちょっと高い気もしますが、これまたマーッサージ大好きな僕には全く問題ありません。
オイルを塗られこすられるようにされるマッサージはサウナで火照った体になんとも心地が良い。

そして、汗をたっぷりとかいた後と言えば‥‥。
そう、もちろん、ビールです!!
ここラオスにはその美味さで旅人の間での評判が高いラオスの国産のビールビアラオがあります。
普段一人ではあまりアルコールを飲まない僕でも、毎晩飲まずにはいられません。
屋台で買ってきた焼き魚を肴に、ぐびりぐびり。
ああ~なんともゆるい、ラオスです。



ルアンパパーンからタイ国境の町フエサイを目指して移動します。
メコン川をスローボートで2日間かけて遡ります。
1日目はパグペンという町まで行き、そこでいったんボートを降りて一泊した後、次の日にフエサイに行くというスケジュールです。
スピードボートと呼ばれるルアンパパーン~フエサイを7、8時間で一気に行ってしまう物もあるのですが、のんびり景色を眺めながら移動したいというのもありスローボートに乗ることにしたのです。

朝8時頃ボート乗り場に行き、チケットを買い乗り込みます。
スローボートという響きとここはラオスであるということから、かなりおんぼろな船を予想していたのですが、これが意外や意外、結構立派なものでした。
2、30人乗り位でそんなに大きくないものの、屋根もあり(当たり前か?)、席もバスの座席のようなクッション付きの座り心地の良いものでした。
おまけに乗客もほとんどおらず、一人でゆうゆうと2席分使うことができました。
これならいくら時間がかかると言ったってあまり苦ではなさそうです。
ボートは動き出すと船内には涼しい風も吹き抜けます。
そして、揺れもほとんどなく本を読むことさえできます。
両岸に鬱蒼とした緑の木々が生い茂るメコン川の風景眺めながら座っていると、なんとものんびりとしていて快適です。
川岸には所々簡素な家が建っているのが見えます。
ボートは時折そういう所にも停まって、現地の人々が乗り降りします。
しかし、よくこんな何もないような所で生活していけるものだと思います。
住めば都というやつでしょうか。

そんな感じでのんびりとボートの旅を楽しんでいたのですが、なかなかパグペンの町に到着しません。
フエサイからルアンパパーンにスローボートで来た人に訊くと、7時間ほどで着いたと聞いていたので、上りだからもうちょっと時間がかかって8時間くらいで着くのかなと予想していたのすが、8時間経っても9時間経っても到着しません。
こんなに長く乗っていたら最初は興味深く見ていた風景もどうでもよくなるってもんです。
別に遊園地のアトラクションみたいに何かが水の中からザバーッと出てくることもありませんし。
ああ~暇だ、暇だ。
そして、10時間半経った日も沈み真っ暗な夜の7時、やっとパグペンに到着。
いや~やっと着きました。
のんびりも疲れるってもんです。



朝起きると小さい方のバッグの周辺の床にひまわりの種が散乱していました。
なんだ?
確かにバッグの中には中国で買ったひまわりの種が入っていたのだが‥‥。
どうして外に出ているのだ。
もしかして‥‥。
慌ててバッグをチェックします。
するとやはりそこには小さな穴が開いているじゃありませんか。
くっそ~、ネズミだ~、やられた~。
ひまわりの種はいいとして、バッグのチャックは開いたままにしてあったのに、なんでわざわざ穴を開けて中にはいるのだ。
勘弁してくれよ。

宿で朝食を食べた後、ちょっと不安な気持ちで船着場へ向かいます。
昨晩、宿にいた兄ちゃんに声を掛けられ、スローボートは乗客不足のため出発しないのでスピードボートに乗らなければならないと言われたのです。
しかし、そんなことがあるのだろうかと胡散臭く思えたので、スピードボートのチケットを買えという誘いを断わりとりあえず船着場に行くことにしたのです。
ドキドキして船着場に着くとそこにはたくさんのボートが停泊してるのが見えます。
さてどれがフエサイ行きの船なのだろうか。
そして、出発してくれるのだろうか。
するとインフォメーションセンターと書かれた建物から若い兄ちゃんが近づいてきて、フエサイに行くのかと訊いてきます。
そうだ、スローボートで行きたいと答えると、それならここでチケットを買えと言ってきます。
なんだやっぱりスローボートはあるじゃねぇか。
あの野郎、僕を騙して高いスピードボートのチケットを売りつけようとしやがったな。
僕を騙そうなんて100年早いんじゃ。

120000K(約1500円)払いチケットを買い、ボートに乗り込みます。
よし、これでフエサイに行くことができます。
席に座って出発を待ちます。
するとしばらくすると船員のおっちゃんが乗客からお金を集め始めます。
あぁ、チケットは船内でも買えるんだ。
ん!?ちょっと待てよ。
近くにいたヨーロッパのツーリストにいくら払ったと尋ねます。
すると、110000Kと言うじゃありませんか。
や、やられた~!!
10000Kぼられた~!!!
おおおおぉぉぉぉ、怒りが込み上げてきます。
よくもこの俺様を騙しやがったな~。
許さん~。
ボートを降り、ツーリストインフォメーションに駆け戻ります。
こら~なにしょうもないことしとんじゃ~!!っと怒鳴ろうとしましたが、なんとそこのドアには鍵が掛けられ閉ざされていて中には誰もいません。
あんにゃろ~逃げやがったな~。
この怒りはいったいどうしたらいいんだ。
あまりにもむかついたので、閉まったドアを蹴りまくります。
戻ってこんとドアを叩き潰すぞくらいの勢いで蹴りまくります。
すると若い男が僕の方に駆け寄ってきて、なんでそんなことをするのだ止めろと言ってきました。
こいつはさっき僕にチケットを売りつけたやつではないんですが、とにかく文句を言う相手が来たので、とにかく10000K返せと言います。
しかし、そいつはチケットを売ったのは自分じゃないし、彼はどこに行ったのか分からないと言ってきます。
そして、さらにここはツーリストインフォメーションなので販売手数料として10000K取るくらい当たり前だと言ってきやがります。
な、なに~!?
ボート乗り場のすぐ横に建物がありゃ、チケット売り場だと勘違いするのも当然だろう。
そして、ボートに向かって歩いている僕を捕まえてチケットを売りつけるなんて詐欺以外のなにものでもないだろう。
そんなおかしい話、あるか~!!
それでも彼は自分はどうすることもできないと開き直ります。
さらに10000K位たいした金額じゃないからそんなに怒るなと言ってきます。
た、たいした金じゃねぇ!?
それならお前がそのたいしたものじゃねぇ金を払えっちゅうんだ!!
ああ、イライラするぞ。
また英語がすらすらと話せないので、言いたいことの半分も言えず、更にイライラ感が高まります。
しかし、ボートの出発時間が迫ってきました。
このイカサマ野郎~!!
捨て台詞を残しボートに戻ります。
くっそ~騙された~!!

ボートは昨日と同じ大きさでしたが、座席は板切れでできた硬く簡素なもので座り心地の悪いものでした。
しかし、やはり乗客は少ないため窮屈ではなく、のんびりとした船旅を楽しめました。
そして、所要時間も8時間ほどと昨日よりも2時間半ほど短く、まだ日の明るい内にフエサイに到着することができました。
色々ありましたが、なにはともあれたどり着けて良かったです。
宿に一旦チェックインしてから、夕食を食べに出かけます。
明日はタイ入国です。
なので今日がラオス最終日になります。
やはり最後にはカオニャオ(もち米)を食べとかないかんでしょう。
通りを歩いていると豚肉を串に刺して焼いているバーベキューの屋台を見つけます。
なかなか美味そうです。
豚肉の値段を訊いていみると5000Kといいます。
悪くない値段です。
ぼってはないようです。
なので豚肉2本とカオニャオを注文します。
出てきたカオニャオの量はちょっと少なかったけど、やっぱり美味いです。
満腹、満足。
それでは、お会計、いくら?
なに!?15000K?
な~に~!
豚肉が2本で10000Kとすると、カオニャオは5000K?
おいおいそりゃ高すぎるんじゃないか。
普通、これより量が多くて2000Kくらいだろう。
豚肉の値段が適切だったからカオニャオの値段をあえて確認しなかった僕も悪いんだけど、そりゃないだろう。
う~。
ああぁぁ、なんなんだいったい今日は。

はぁ、まぁ、たまにはこんな日もありますね‥‥。

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やってきましたラオス。ウボンラチャタニーからラオスのパクセまで直通の国際バスに乗りました。国際バスと言っても別に特別豪華なバスという訳ではなく、ただ国境でバスを乗り換える必要がないというだけのことです。

国境を越えると国力に差があるとびっくりするくらい道路が立派になったり逆にぼろくなったりします。中国なんかは見栄を重視する文化の影響かパキスタンやベトナムの国境ではそこまでせんでもと思うくらい立派にしています。 

経済力に劣るラオスはどうだったかというと、それほど見劣りする道路や建物ではなかったです。まあ立派ということではなくタイの方もたいしたことなかったということなんですが。タイもバンコクと地方ではずいぶんインフラの整備状況に違いがありますね。


ラオスは僕の好きな国のひとつです。13年前ほど前に旅をしたのですが、その時の旅がすごく面白かったのです。別になにか特別なものがあるという訳ではないのですが、そのなにもなさがラオスの良さなのです。首都のビエンチャンでも車がほとんど走っていませんでした。これから向かう予定のシーパンドンと呼ばれるメコン川の中にたくさんの島がある所があるのですが、その時に行ったコン島では電気も通ってなく夜はランプの光で過ごしました。そして、国内線の飛行機に乗ると何故か機内が白い煙で真っ白になり、トラックに乗って移動しているとぬかるみにはまって動かなくなり乗客みんなで押す。そんな僕がバックパッカーとして体験してみたかったことができた国だったのです。

しかし、そんなラオスも経済発展し、かなり変わったと聞きます。6年ほど前にルアンパパーンは訪れたのですが、その時も街には旅行者のための宿、レストランが増え、そして、街並みも綺麗になったなという印象を受けました。果たして13年ぶりに訪れる島はどのように変わっっているのでしょうか。


ラオスの好きなもうひとつの理由。それはビールが美味いということです。「ビアラオ」っていうのですがなんとも飲みやすいのです。個人的には東南アジアで一番美味しいのではないかと思います。そして、何故か他の国のビールのように日本で売っているのを見かけることがないのです。なのでラオスでしか飲めない美味しいビール。

一人の時はめったにアルコールを飲まない僕が、今宵はタンの炭火焼をつまみにビアラオをゴクリ。

ラオスに来たね~。

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パクセから車で南へ約1時間。チャンパーサックへ移動。世界遺産でもあるクメール時代のヒンドゥー寺院の遺跡です。アンコールワットよりも前の物らしいです。ここは前回この辺りを旅した時は存在は知っていたのですが、あまり大したことないと思っていたのとそれほど時間に余裕がなかったのもありまして訪れていなかったのです。

しかし、行った人からはなかなか良い遺跡だったとの話。世界遺産にもかかわらず人もあまりおらずのんびりとできると聞きました。だからチャンスがあればいつか訪れてみたいと思っていたのです。

 
チャンパーサックの宿にチェックインして、自転車をレンタルして遺跡に向かいます。距離は10キロほど。自転車ならそんなに大したことないと思っていたのですが、真昼の容赦ない日の光、錆びついた自転車、硬いサドルのためにお尻が痛くなり、1時間ほどかけてたどり着いた時にはへろへろになってしまいました。

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道中で子供たちが用水路で水遊びしていたのですが、僕も一緒に飛び込みたかったです。


そして、いよいよ念願のワットプー。ほんとにのんびりした場所だ…ということは全くありませんでした。なんと翌日の12日から14日まで年に一度のワットプーでのお祭りがあるらしいのです。なにやらラオスの南部の人々が大勢集まってくるらしい。たくさんの屋台が出て、ステージでは音楽が演奏されたりと盛り上がるみたいです。

なので街の人からもなにやらウキウキと した雰囲気を感じます。祭りに出るためか5、6匹の象がワットプーを目指して街中の道を歩き、それを見物にたくさんの人が沿道に集まり象に餌や水を与えたりして、キャッキャと喜んでいました。

ワットプーには既にたくさんの屋台が準備され、 大ボリュームで音楽が流されています。何故か懐かしのベンチャーズのようなギターのティキテキトゥキトゥキティキトゥクテキ~♪というような音楽。

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遺跡にも大勢の人が訪れており、それ目当ての物売りなどもたくさんいます。あぁ静かな遺跡はどこにやら…。

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それでもなかなか見応えのある遺跡で、そこからの眺めも遥か遠くまで見渡せ気持ちの良いものです。しばし腰をかけ悠久の時の流れに思いをよせます…。


もちろん僕の背後からは、ティキテキトゥキトゥキティキトゥクテキ~♪


 

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ラオスをチャンパーサックからデット島を目指しさらに南下します。ラオス南部の国境近くにはシーパンドンと呼ばれる地域があります。シーパンドンとはラオスの言葉で「4000の島」という意味です。 ラオスは海に接していない内陸の国なのになぜ島があるのかというと、それは川の中に浮かぶ島なのです。

メコン川の中に4000の島と呼ばれるように大小たくさんの島が浮かんでいます。 その数多くの島の中で目指すデッド島は橋でつながるコン島と共にバックパッカーに人気なのです。何もなくそれが良いというラオスの中でさらに何もない場所です。少し前に電気は通りましたが、それまでは夜は発電機、ランプでの生活ですした。もちろん今でも水道管はなく生活用水は川のものを使っています。

13年前に一度訪れているのですが、その時よりもいろいろと便利になり旅行者の数も増えているようです。昔はローカルバスでしか行けなかったのですが、今は旅行者専用のツーリストバスまで出ているほどです。 しかし、旅行者が増えているということは、騒がしくなったり素朴な村の良さがなくなったりと島の魅力が減っている可能性もあるということです。ですから久しぶりに訪れるのが楽しみであり心配でもあります。さてさて、どうなっているのでしょうか。


旅行者を乗せたミニバスが島への渡し舟の出発点となるバンナカサンに到着します。デット島行きのボートは料金が15000Kと決まっておりチケット売り場まであります。昔は個別にボートと交渉しなければならなかったものですが。ですからスムーズにボートに乗り込むことができ、いざ出発。

船はメコン川の中をすいすいと進んで行き、10分ほどでデッド島の北部の集落ファデットに到着。いよいよデット島に上陸です。この辺りは前回には訪れてなかったですが、旅行者向けの宿、レストランが立ち並びなかなかの賑わい。やっぱりだいぶん発展したのか。少し心配します。 しかし、チェックインしたバンガロースタイルの宿からの眺めは13年前と変わることなくゆったりとしたメコンの風景を楽しむことができます。

ハンモックに揺られながら眺める夕焼け。ここまで来て良かった~!!

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そして、もちろんラオビアがよく似合います!!

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宿でレンタル自転車を借りて、コン島に向かいます。13年前に泊まった場所で滝などの見どころもあります。凸凹した土の未舗装の細い道を進みます。左手にはメコン川が流れ、反対側には収穫され後の田んぼが広がるのんびりとした島の風景です。

今までトータルするとかなり長い時間を旅に費やしてきた僕ですが、数多い訪れた場所の中でコン島にはかなり良い思い出があります。電気も通っていない環境、素朴な村の人々、そこで知り合った旅人と一緒に観光し、飯を食い、酒を飲み、星を見て、語る。本当に楽しい思い出でした。

さて、そんな島はいったいどの様になっているのか?

驚きました。僕が泊っていたぼろぼろのバンガローの宿はもう姿かたちもありません。その変わりに同じように川沿いにもっと立派なバンガローやレストランの建物が立ち並んでいます。その数も僕の記憶よりさらに増えています。

街のおばちゃんがやっていたようなぼろい食堂が、西洋旅行者向けの食事を出すお洒落なレストランに変わっています。旅行代理店などもあります。

島の見どころでもあるソンパミットの滝に行きました。以前は草が生い茂る細い道をてくてくと歩いて行ったと記憶していますが、今では車で行くことができる道ができています。そして、無料で自由に見て回れた滝は、立派なチケット売り場の建物ができており、滝の周りには「危険入るな」の看板があり柵ができていました。

昔ここがフランス植民地時代だった時に走っていた機関車の残骸があるのですが、前回来た時には草むらの中に捨てられたようにあったのですが、今では立派な屋根付きの囲いの中に説明のパネルとともにしっかりと設置されていました。そして、僕がそこを訪れた時にはそこには何十人もの年配のフランス人と思われるツアー客がいたのでした。


話を聞いたり情報を読んでいたりしたので、コン島がかなり変わっているということは予想していたのですが、実際にこの目で見るとやっぱりなんとなく残念で、そして、その変わりようには思わず笑ってしまいました。

もちろん地元の村人にとってはたくさんの観光客が来てお金を落としてくれて生活が豊かになっているということなので良いことだとは分かっています。僕でも行けるような別に秘境と呼ばれる所でもないので、より多くの旅人が訪れてラオスの経済発展と相まって発展するのは当然と言えば当然で仕方ないことないのです。それでも、旅人の立場からするとやっぱり残念なのです。

しかし、念のために書いておきますが、けっして現在のコン島が魅力ない場所だと言っているのではないのです。今でも静かでのどかな風景が広がる素晴らしい所です。現に僕もこの滞在を楽しんでいます。

これは昔は良かったという懐古主義かもしれないし、13年前に旅した時は初めての長い旅が始まったばかりで旅というものの全てが新鮮で刺激的だったからかもしれないです。単に僕が若くてエネルギーに溢れていたからかもしれないです。そして、そこで知り合った人との出会いが素晴らしくそれもコン島の思い出の一部となっているからかもしれない。それともそれら全てが重なり合ってこういう思いになったのかもしれない。

旅にはその土地の状況、自分の年齢・環境、人との出会い等が重なってその時の印象が決まるのでしょう。そういう意味では13年前のコン島は僕にとって最高の条件であったのでしょうね。


まぁ、一つ言えるのは13年も経てば人も街も大きく変わっていくということで、そのような中で僕は13歳老いただけで、やっていること、取り巻く状況など全く変化がなく成長していないってことでしょうか…。

う~ん、とりあえず旅楽しみまっす!!

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デット島での日々はのんびりです。基本的に旅はいつものんびりしていますが、いつも以上にのんびりです。

朝6時か7時に起きて、ハンモックに横になりながら読書をします。9時ごろになって近所のレストランで食事をして、そこでも読書をしたり日記を書いたりネットをしたりします。

そして、いつの間にか昼になっているので今度は昼飯を食べます。食べた後はやはりハンモックでのんびり。2時とか3時になると目の前にあるメコン川でひと泳ぎ。

シャワーを浴び、再びハンモックに横たわり、そうして川の向こう側に真っ赤な太陽が沈んでいく様子を眺めます。

その後は宿の併設のレストランに行き、猫と戯れながらながら夕食を食べビアラオを飲みつつのんびり。

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こうしてデット島の一日が終わります。

なにもしない、なにもさせられない、ただただのんびりする場所です。


そういえばハンモックに横になっていて起き上がろうとしたした瞬間、ビリッ!!っと見事なまでにハンモックの布が裂けて破れてしまいました。

こんな生活で体重が増えてしまったのではないことを祈ります…。


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