ふたたび旅(アフリカ編 たびタビ旅part2)

約2年4ヶ月の旅(http://zensin.jugem.jp/)からはや5年あまり。もう行かないはずだったのに、3回目の長い旅へ…。我が旅人生堂々の3部作完結アフリカ編!!…のはずです。

カテゴリ: イエメン



世界には数多くの国がありますが、その中にどうしても訪れてみたい場所がいくつかあります。
その中の筆頭ともいうべき国が、イエメン。
旅行者同士話していても、イエメン行ったけど良かった、イエメンいつか必ず行きたい、という話題がよく出てきて、その度にその思いを強くしていったのでした。
僕もこの旅でできれば行きたいと考えていたのですが、場所がアラビア半島の南端という辺鄙な場所にあるので、どこからどのように行けば良いのかと悩んでおりました。
そして、悩みに悩んだあげく、ここイスタンブールから飛行機で行くことにしたのです。

利用航空会社は、「エアーアラビア」。
今、世界の航空業界を席巻している格安航空会社のひとつです。
僕は、最初、この会社の存在を知らず、宿の近くにある旅行代理店を回りイスタンブール~イエメン間の往復チケットの値段を調べました。
すると一番安いチケットでも、400ユーロします。
今現在、1ユーロは160円以上しますので、65000円ほどすることになります。
これは、ちょっと高すぎる。
どうするか悩んでいると、同じ宿の人にエアーアラビアの存在を教えてもらったのです。
早速ネットでホームページにアクセスして値段を調べてみると、往復で400ドルほどじゃないですか。
同じ400という数字でも、ユーロとドルではえらい違いです。
日本円に換算すると、45000円ほどじゃないですか。
最近の原油高で燃料代がかなり高くなり、航空券の値段もそれにつれてかなり上がっている状況ですが、その一方このような格安航空会社も数多く世界中に現れ、バス並みの料金で乗れるのは嬉しい限りです。
日本にも早くこのような航空会社が現れて欲しいものです。
エアーアジアでも乗り入れてくれないのかなぁ。

このエアーアラビアは、UAE(アラブ首長国連邦)の会社であり、どこからの飛行機も必ずUAEのシャルジャという町の空港に飛ぶことになります。
ですから、イスタンブールからイエメンの首都サナアに行くのも、まずイスタンブールからシャルジャに飛び、そこからサナア行きの飛行機に乗り換えることになります。
ですから、イスタンブールを夜2時半に飛び立ち、シャルジャの空港で6時間のトランジットを経て、サナアに着くのは実に昼間の2時になります。
それに加えてコスト削減のため機内食も出ないのですが、それだけ安く行けることを考えるとそんな事も我慢できるってもんです。
たまに出発時間がかなり遅れたり、欠航になったりするトラブルもあると聞きましたが、今日はほぼ予定通りイエメン、サナアに到着。
いよいよやってきましたよ。

そのサナアの空港。
なんとも小さくぼろいです。
これが、イエメンで一番大きな空の玄関口?
しかし、そのぼろさ加減が逆にこれからの旅の期待を高めてくれます。
イエメンは入国にビザが必要なんですが、それを空港で買えるというお手軽さ。
値段も30ドルとまずまずの金額であります。
入国審査も何も質問されること無しに、簡単にスタンプを押してくれました。
やっほ~これでイエメン入国だ~!!

空港を出て、目の前の道を走る小さなライトバンのダッハーブと呼ばれる乗合タクシーに乗ります。
まずは、それでハサバという地区に行き、そこから安宿があるタハリール広場行きのダッハーブに乗り換えます。
料金は、50リアル(約30円)なり。
噂どおりの物価の安さ。
僕は、これを待っていたんだよ~。
しかも、運転手はその値段をボラない。
同じイスラムでもエジプトなどとはえらい違いです。
そして、乗り換えの時に、次の乗り場はどこにあるのかと尋ねると、そのダッハーブに乗っていた少年がわざわざ一緒に歩いて連れて行ってくれました。
これまた噂どおりの親切さ。
イエメン、期待を裏切りません。
そして、タハリール広場に着くと、そこには、ジャンビーアというJの字の形をしたイエメン伝統のナイフを腹のベルトに付けたおっちゃんが歩いているじゃありませんか。
おおぉ、まさしくアラブの世界。
イエメン、またまた期待を裏切りませんよ~。




ガイドブックによれば、かつてアラビアには3つの国があったという。
ひとつは、「砂のアラビア」。
現在のサウジアラビアを中心とした広大な砂漠地帯にあった国。
二つ目は、「岩のアラビア」。
現在のシリア、ヨルダン周辺の巨大な岩山が密集している地域にあった国。
そして、最後が、「幸福のアラビア」。
そう、現在のイエメンのことであります。
古代からインドと地中海を結ぶ「海のシルクロード」の要地として栄えてきたこの国は、標高の高い土地が多いため、アラビア半島に位置しながら涼しく、また雨もよく降るので(東京と同じくらいの年間降水量がある場所もあります。)、緑の木々もたくさん生え、大変過ごしやすい国なのです。
まさしく、幸福と形容するに相応しい国‥‥だったのです。
しかし、そんな幸福な国も、サウジアラビアなどの他のアラビア諸国と違い石油資源に乏しいため残念ながら近代化から取り残され、アラブの最貧国となってしまったのです。
しかしながら、そのおかげで近代的な高層ビルが立ち並ぶ他のアラブ諸国と違い、その往時の繁栄を物語る古き建造物が取り壊されることなく現在も残っているのです。
ちなみにここサナアは、現在も人が住む人類最古の都市なのです。

その古き町並みが残る旧市街に行ってみます。
それを遠くから目にした時、思わず唸ってしまいました。
かなり期待していたのですが、その期待を上回る素晴らしさ。
その茶色を基調とした家は、窓枠が白い漆喰で塗り固められ、それが青い空に映えなんとも美しい。
ほとんどの建物が300年も前に建てられたものらしい。
その街は、遠くから見るだけでなく、その中に入ってもその魅力は衰えることはありません。
狭い迷路のような路地にたくさんの小さな商店が連なります。
そして、そこをこれまた大勢の、黒々とした髭をたくわえ、頭にターバンを巻き、裾が脛まであるワンピースのアラブ服を着て、幅広のベルトを巻きジャンビーアを付けたおっちゃんと、真っ黒な黒装束で全身を隠し目だけを覗かせた女の人が、行き交っています。
こんな世界がまだこの世に存在していたのだ。
なんか嬉しくなってきます。

人々もすごくフレンドリーで親切です。
歩いていると、多くの人に話しかけられます。
「どこから来た?」「そうか、日本か、グッドカントリーだ。」「名前はなんていうんだ?」「そうかそうか」「ウェルカム トゥー イエメン!」
服屋を覘いてみると、そこの店員に昼飯を誘われます。
遠慮して断ると、まぁそんなこと言わずにみたいに無理やり座らされ昼飯を振舞われます。
そして、食後には、カートをもらいます。
カートとは、植物のことで、その木の葉っぱを噛むと覚醒作用があり目が冴えるといった症状がでます。
ちょっとしたドラッグみたいなもんです。
お隣サウジアラビアでは禁止されていて、見つかると懲役15年の刑になるようです。
しかし、このカートはイエメン人の大好物なんです。
昼をすぎると街のいたる所でこの葉っぱをむしゃむしゃと食べています。
食べるといっても、それを飲み込むのではなく、その食べかすをほっぺの部分に溜めていきます。
ですから、ほっぺたが瘤のように膨らんでいきます。
プロのトランペッターのほっぺたがハムスターのように丸く膨らんでいる映像を見たことがあると思いますが、まさしくそんな感じです。
みんな気だるい目をしながら、右ひざを立て左肘をつき横になり、まるで草食動物のように、その葉っぱをいとおしく眺めながら手でちぎり取り口にほおり込んでいきます。
むしゃむしゃむしゃ。
僕も恐る恐るそれを口にします。
う~ん、まさしく葉っぱです。
それ以上でもそれ以下でもありません。
甘いとか辛いとかそんなもんではありません。
青臭いまさしく葉っぱの味なんです。
それを教えられるように噛み砕き、歯と頬の間に溜め込んでいきます。
そして、溜まった唾液を水やコーラで流し込みます。
ちょっと目が冴えたような気がしましたが、それほどきつい効果はありません。
これならお酒の方がよっぽどいいです。
まぁ経験程度できたらいいなと思っていたのですが、これを食いながら歩いていると、その僕の姿を見たイエメン人は、おっ、お前も食ってるな、どういいだろうってな感じで嬉しそうに呼び止めてきます。
そして、まぁ俺のカートも食え、これは上物だぞなんて感じで、僕にカートをくれるのです。
ですから、食べても食べても量は減っていきません。
そうして、いつの間にか僕もほっぺを膨らませ、むしゃむしゃと口を動かしながら、その古い街並みの中を歩いていくのでした。

おい、お前カート食べてるのか、よし俺の分もやるぞ!!
ひぇ~もう、勘弁して下さい。



朝7時にバスに乗り、ホデイダへ向かう。
6時間ほどの移動であったが、バスは思いの他けっこう新しい最新のバスであり、道も全て舗装されており、乗り心地は快適であった。
ホデイダは、イエメンの西に位置する紅海に面する港町だ。
この辺りの気候は熱帯性で、夏は、湿度100%近くにもなり、気温は40℃を超える。
今は冬で、まだましだとは言え、標高2400mの涼しいサナアからくるとずいぶんと暑く感じます。

漁港をみたりして町をうろついていると、子供たちが凧揚げをしている場面にでくわしました。
珍しいなと思い写真を撮ったりしていると、その中の一人の男の子がカートを食べない?こっちへ来なよみたいな感じで僕を誘ってきたので、ついていってみることに。
細い路地を抜けていくと、大勢の男たちが集まっている一角にたどり着きました。
路地の上に天幕が張られ、その下に座れるようにマットが設置され、奥にはステージのようなものも設けられています。
そのマットの上に男たちが座り、カートを食べているのです。
僕の姿を見つけると、何人かのおっちゃんが僕の分の席を空けてくれ、こっちへ座れと招いてくれます。
そこに座ると、またたく間にたくさんのカートとコーラが僕の前に用意されます。
いったいここはなんなのか分からないまま、とりあえずカートを食います。
ここは、みんなが集まってカートを食う所なのでしょうか。
その割には、ステージでは音楽が演奏されており、ちょっとしたパーティーのようです。
僕の周りにいる人たちはみんな英語を話すことができないので、質問することもできず、とりあえずもくもくとカートを食べ続けます。
そして、5時を過ぎる頃になると、夕方のお祈りのためいったんお開きのようになり、音楽の演奏も止み、そこにいる男たちの姿もまばらになりました。
きりがいいので僕もそろそろ帰ろうかなと思った時、ステージ近くに座った人からこっちへ来るように呼ばれました。
近くに行くと、まぁ横に座れと言われ、またしてもカートをくれました。
その人は、少し英語を話せたので、いろいろと話をします。
その会話から分かったことによると、どうやらこの集まりは結婚式のようなのです。
8時くらいになると新郎があらわれるという。
おお~結婚式かぁ~、これを見逃す手はない。
まだまだ帰ることはできんよね。

しばらくすると白いワンピースのアラブ服を着た新郎と思われる人が二人あらわれ、ステージ上のソファーに腰掛けました。
どうやら2組同時の結婚式のようなのです。
ステージ上では、ソファーを挟むようにして2組の楽団がおり、交互に演奏を繰りひろげています。
しかし、その他にはスピーチや余興といったものはなく、大音量の音楽がスピーカーから鳴り響く中、みんなひたすらカートを食い続けています。
時たま、新郎の前に行く者があり、お祝いを言ったり、多分祝儀と思われる袋を手渡したりしています。
その内、僕もステージに上げられ、何故か新郎の間に座らされたりします。
全くの部外者なのにこんな所に座らされ恐縮のいたりです。
そんな僕に新郎は、自分の被っていた帽子を被らせてくれ、首に花輪をかけてくれ、カートまでくれます。
いや~、そんなことまでしてもらって申し訳ないです。
とにかく、おめでとうございます。

しかし、この催し、大勢の人がいるのですが、とにかく男、男、男の男だらけです。
やはり、イスラムの世界です。
男と女は別々にやるもんなのでしょう。
でも、この宴の最後には、きっと綺麗に着飾った美しい花嫁が現れる‥‥はず。
その期待を胸に、繰り返し演奏される僕には同じように聴こえるアラビア音楽が流れる中、ひたすらカートを食いながら待ち続けます。
時間は、9時になり10時になり11時になりと刻々と過ぎていきます。
しかし、相変わらず花嫁が現れる気配は微塵もない。
ただただみんなカートを食っているだけ。
僕もいい加減気持ち悪くなりそうです。
やっと手持ちのカートがなくなりそうだと思うと、それに気づいた人が、すかさず僕に新たなるカートを差し入れてくれます。
また、僕の食べる手が止まっていると、もっと食べろよと勧めてきます。;
その心遣い大変ありがたいのですが、いいかげん辛い。
僕のほっぺも、パンパンに膨らんでいます。
早く花嫁よ現れくれ~、それまではこの会場から去ることはできない。
そして、12時を過ぎた頃でしょうか。
先ほどの少し英語を話せるおっちゃんが僕の方へ近づいてきました。
そして、俺はもう帰るが、この会は3時ころまで続くので楽しんでいってくれと、言うじゃありませんか。
えっ、帰る?
花嫁は?
そして、周りを見渡してみると、心なしか人の数が減っているように感じます。
もしかして、花嫁は最後までその姿を見せず、ひたすら男たちだけでカートを食い続けるのか~。
なんてことだ~。
結婚式に花嫁が現れないなんて‥‥。
恐るべし、イスラムの世界。

とにかく新郎の方たちおめでとうございました。
末永くお幸せに。



ホデイダの近郊の町、ベイト・アル・ファキーフへ日帰りで行きます。
ここは、普段は何のへんてつもない小さな町なのですが、毎週金曜日にイエメン最大のマーケットが開かれ、多くの人が近隣から集まって活気づくのです。
とにかく、ありとあらゆるものが売られてる。
魚、肉、野菜等の食材。
その中でも、鶏肉売りがおもしろい。
生きている鶏を注文を受けるとその場で首をナイフで切って絞めて、その後、手際よく皮を剥ぎ取り、それをナイフでカットしていき、あっという間に肉片にしてしまう。
その作業は、しばらく見ていても飽きないほど、見事といっていい。
また、ラクダの油しぼりも見ていて楽しい。
これはゴマの入った臼の周りを、目隠しされたラクダが背中に杵を背負ってぐるぐる回り続け、油をしぼりとるのだ。
こんな何世紀も前から行われているような非効率ともいえる方法が残っているがイエメンらしくて良い。
その他にも、お菓子や簡単な食事をとることができる屋台も出ているし、もちろん衣料品や日用品も売っている。
しかし、なんと言っても、一番熱気に満ち活気があるのは、カート市場である。
売り手は大声でお客を呼び込み、買い手も真剣な眼差しで品定めしている。
イエメン人のカートにかける思いは、恐ろしいほどだ。
もし、イスラム教で、お酒が許されていたのなら、きっとイエメン人はすごい大酒飲みだったであろうとも思ってしまう。

そんな人々の熱気と、30度を超える気温と、厳しい直射日光のため、しばらく市場の中を歩いていると、暑さでくらくらしてくる。
そんな時、生ジュース売りの屋台のおっちゃんから手招きされ、店の軒先で少し休憩させてもらう。
そして、そのおっちゃんがサービスでくれたよく冷えたレモネード。
うまいね~。



以前にもこのブログで書いたかもしれませんが、実は僕、大学時代レスリング部に所属していたのです。
この小心者の僕がレスリング?と思われるかもしれませんが、事実なのだからしょうがない。
大学から始めたこともあり、けっして強いとはいえなかったのですが、一応4年間やっておりました。
もう15年近くも前の話ではありますが。
今では、すっかり筋肉も落ち、その分脂肪のついたたるんだ体になってしまいましたが。
(現役時代もぶよぶよのたるんだ体をしていたじゃないか!!という突っ込みはご遠慮下さい。)
そんな僕が、ここホデイダでレスリングをすることになろうとは、誰が予想できたでしょうか‥‥。

きっかけは一昨日の結婚式でした。
そこにいた若い兄ちゃんが僕の耳を見て、レスリングをやっていたのかと尋ねてきました。
意外と知らない人も多いのですが、レスリングや柔道などの格闘技やラグビーなど耳を強くこする運動をしていると、耳の中で内出血を起こし、それが固まり耳の形が変形してしまうのです。
テレビなどで、格闘家の耳を注意深くみると、気づくことになるでしょう。
僕の耳もそのようにつぶれているのですが、その兄ちゃんはそれに気がつき僕に話しかけてきた次第です。
よく日本人であると言うと、空手をやっているのかと言われることが多いのですが、レスリングをやっていたのかと訊かれたのは初めてなので少し驚きました。
しかし、その場では相手も英語がほとんど話せないこともあり、それ以上深い話にはなりませんでした。
それが、昨日、町を歩いていると、偶然レスリングをやっているという兄ちゃんに声をかけられたのです。
僕の方は彼のことを覚えていなかったのですが、彼の方は結婚式場でレスリングの話をした時に近くにいて僕を見ていたようでした。
そして、彼は、明日みんなでレスリングの練習をするから、是非一緒に参加してくれないかと言ってきたのです。
僕は、明日にでも次の町に移動する予定でありましたし、第一今さらレスリングをする自信もなかったのですぐさま断ったのですが、その後夕食に誘われ、いろんな場所を連れ回され、たくさんのレスリング関係者に引き合わされ、いつの間にか参加せざるをえない状況になってしまったのです。

そうして、今日の夕方5時過ぎに昨日会った兄ちゃん、マルワンとムスタファと一緒に練習場に行きます。
彼らは本当に親切で、僕のために練習用の服とシューズを提供してくれ、ご飯も奢ってくれました。
会計の時、みんなでお金を寄せ集めて飯代を出すので、見ていてあまりにも忍びなく何度も僕が払うと言ったのですが、けっして払わせてはくれませんでした。
会場に着くと、2、30名くらいの男の子が輪になり準備運動をしていました。
僕は、もっと人数が少ないのかと思っていたので少々びびります。
意外と本格的じゃないか!
僕もすぐさまその輪の中に入り、一緒に体を動かします。
ぐるぐると円になり走りながら、跳ねたり、しゃがんだり、捻ったり、時には腕立て伏せをしたりします。
おじさんには、もうこの時点できつすぎます。
すでに体が悲鳴をあげています。
そして、お次は柔軟体操。
床に座り足を伸ばして、前屈です。
見事なほどに曲がらない。
指先は、つま先まではるか遠く‥‥。
いてててて。

そして、いよいよ本番です。
スパーリングを始めます。
最初、僕は、みんながするのを横で眺めています。
幸いなことに、ここのレスリングのレベルはそう高くないように思えます。
これなら今の僕でもなんとかなるかもしれない。
少し余裕がでます。
しばらくすると、コーチが僕の方に来て、スパーリングをやってくれないかと言ってきました。
いよいよです。
胸の鼓動が高まります。
相手は、僕よりも一回り体が小さいもののなかなかの体の持ち主。
ここまできたらやるしかない。
よし、やるか!
覚悟を決めます。
相手とガッ、と組み合います。
この感覚久しぶりです。
そこから、さびついた体にムチを打ち、忘れかけた技を繰り出します。
く、苦しい。
すぐに息があがります。
レスリングってこんなにしんどかったっけ。
それでも相手がほとんど素人であったこともあり、なんとかフォールして勝つことができました。
なんとか日本のレスリング界の面子は保ちましたぜ~。
よれよれ、ぎりぎりですけど‥‥。

こうして、学生時代の試合ではいつも一回戦負けで、なんの誇れるような実績のない僕ですが、イエメンで初めてレスリングの練習をした日本人(推定)として、その名をレスリング界に残す?ことになったのです。
でも、ほんと疲れました。



朝起きると、やはりと言うか当たり前と言うか、全身筋肉痛である。
若いから筋肉痛がすぐ翌日くるのだと軽口をたたく気も起こらない。
多分、明日になってもっと痛くなるに違いない。
動きは、ぎくしゃくぎくしゃく、まるでロボットです。
体が痛いよ~、だるいよ~、しんどいよ~。
おまけに昨日、汗をいっぱいかき水を飲みまくったのが悪かったのか、お腹もピーピーです。
泣きっ面に蜂、弱り目にたたり目、傷口に塩、そんな言葉を呟いてみたところで、下痢が治るわけではありません。
それでも、予定より長くホデイダに滞在していることもあり、次なる目的地ザビードに移動しなければなりません。

ザビードへは乗合タクシーで向かいます。
ザビードは、世界遺産にも指定されている古い町。
南部アラビアの学問の中心地で、819年にはアラブで初めて大学が設立されたとうい学問の都市であったのです。
当初の予定では、この町に一泊しようかと考えていたのですが、この町に着いた時に出会った英語がぺらぺらのガイドが、何故かこの町は暑いしたいしたホテルがないからタイズまで行って泊まったほうがいいと強く勧めます。
確かにすごく寂れた町なので、その忠告に従い、荷物をレストランに預け、観光だけすることにします。
小さい町なので、2時間ほどで見終わります。
しかし、この町もほんとうに暑い。
こんな場所で勉強しなければならなかった、古の学生たちはさぞかし大変だったであろうとその苦労がしのばれます。
クーラーが効いた教室があっても勉強しなかった僕なんか、こんな場所ではけっして無理であったでしょう。

観光を終え、再び乗合タクシーに乗り、タイズへと向かいます。
タイズは標高1400mに位置する山間の町。
そのためホデイダやザビートと違い、かなり涼しく快適。
ここまで来て正解だったかもしれません。
タイズに着いた時には、夜7時を回っており、すっかり日は沈んでおり辺りは真っ暗です。
乗合タクシーを降り、ガイドブックに載っている安い宿を目指して歩き始めます。
地図で見ると3キロほどの距離に思えたので、十分歩くことができると判断して歩き始めたのですが、いきなりの上り坂でちょっとつらい。
昨日のレスリングによる筋肉痛に加え、今日歩き回った疲れもありかなり体はだるい。
おまけに辺りは真っ暗なこともあり、歩いている道が正しいのかも定かでない。
疲れと不安でいらいらしてくる。
こんなことならザビートに泊まっておくべきであったか。
とりあえず道があっているか確認しようと立ち止まり、近くにいたおっちゃんにホテルの名前を告げ訊いてみる。
おっちゃんは、困ったような顔をしてしばらく思案した後、ちょっと待っとけと言って僕をそこに残し家の中に入っていった。
そして、再び姿を現した時には、手にカギを持っていて、車で連れて行ってやるから乗っていけと言う。
お言葉に甘えて乗せてもらう。
そうして、連れて行ってもらったホテルは、とても歩いていけるとは思えない遠い場所にあり、しかもかなり奥まった分かりにくい細い路地にあり、自力で探したのならかなり迷っただろうと思われる。
おっちゃんは、ここだよとホテルの前で僕を降ろすと、何も言わずそのまま走り去っていった。
イエメン人の親切はいつものことなんですが、今日の疲労困憊の僕にはいつも以上にありがたく感じました。
僕も他人には優しくありたいもんです。



タイズより日帰りでモカに行く。
モカは、紅海に面した小さな港町である。
ここの港は、かつて世界最大のコーヒーの積み出し港として世界中にその名を轟かせたのである。
モカという言葉はコーヒーの代名詞になったくらいでした。
今でも、コーヒー味のケーキやアイスクリームのことを「モカ」と呼ぶのもその名残であります。
旅をしていると、いろんなことが勉強になります。
しかし、現在のモカはかなり寂れた小さな町になっており、まるで内戦後の廃墟のようになっておりました。

モカからタイズへ戻る乗合タクシーに乗ったのは、2時くらいであったでしょうか。
ちょうど午後のティータイムならぬ、午後のカートタイムであります。
運転手はもちろんのこと、僕以外の乗客はほとんど食べています。
ガイドブックによると、カートの主目的は、気の置けない仲間同士が集まりそれを食べながらおしゃべりをしてくつろぐという社交なので、普通ひとりでやるものではないということだ。
しかし、僕の見るところ、カートの味、その覚醒作用が好きでたまらないといった様子で、みんな一人もくもくと食べています。
その姿は、マリファナできまって目を真っ赤にさせているジャマイカ人や、飲み屋で酒をしこたま飲んで酔っ払っている日本のおっちゃんの姿を連想させます。
値段もけっして安いものではなく、食事に200リヤル(約120円)出せばお腹がいっぱいになるイエメンで、品質により値段の幅もありますが、だいたい小さなビニール袋にいっぱい入ったくらいの量で400リヤル(約240円)します。
話をすると、一日に1000リヤルものお金をカートにつぎ込んでいるイエメン人もいました。
まさしく、日本でいう酒に近い感覚のものでありますね。

あんたカートばっかり食ってないで、家に食費ぐらい入れなさいよ!!
うるせ~俺様が働いた金でなにを買おうと俺の勝手じゃ~!!
子供がお腹をすかせているのよ!!
がたがた文句言うんじゃねぇ、この売女が!!バシー!!!
あ~んあんあん、お父ちゃんやめてよ~。

なんていう光景がイエメン人の家庭で繰り広げられていたりして‥‥。

乗合タクシーは、タイズの町のすぐ手前あたりまで走ってきました。
僕の横に座っているおっちゃんも、出発時からひたすらカートを食い続けています。
そのおじさんが、突然足の間に頭をうずめました。
そして、おえ~。
おいおいこんな所で勘弁してくれよ。
吐くなら噛むな、カートです。



今日は、またタイズから日帰りで、イッブとジブラという町に行く。
イッブという町は、なんの特色のないただの町でしたが、そのイッブから乗合タクシーで15分程山奥に入った場所にあるジブラはなかなか良かった。
シバの女王に次いで2番目の女帝アルクが造ったという町が、11~12世紀の面影をそのまま残しているのです。
まるで中世の世界に迷い込んだようです。
一人で歩いていても楽しいのですが、途中、年の頃は18才くらいと思われる男の子がガイドをするがどうかと訊いてきました。
イエメンで一番美しいとも言われているアルク女王のモスクの中も見学させてくれるというし、ガイド料も200リヤル(約120円)でいいと言ってきたので、頼んでみることに。
その男の子は、街中を歩きながらいろいろと説明してくれたし、ちゃんとモスクの中にも入らせてくれ、写真も撮らせてくれた。
まあまあ満足したのですが、そのモスクを出る時に、このモスクにお金を寄付してくれときた。
それも500リヤル(約300円)。
やっぱりそうきたかと思ったが、確かにモスク自体は素晴らしいものであったので、払うことにする。
そのお金を彼に渡すと、これをモスクに人に渡してくると言ってモスクの奥に消えた。
しばらくして戻ってくると、「寄付をどうもありがとうって言ってたよ。」と僕に言うが、果たしてそのお金がモスクに渡ったのか、それとも彼の懐に入ったのかは神のみぞ知る。
やっぱり騙されたのかな。
しかし、日本円にするとたったの300円。
日本のお寺に入ったら1000円ほど取られると思ったら安いものだ。
そんな心の切り替えが、旅を楽しみ続ける秘訣でもあります。



タイズの市内観光をします。
まず、向かうは国立博物館。
あまりイエメンでは博物館に興味がなく、今まで行ってなかったのですが、ここはガイドブックを読んで、是非とも見ておきたいと思わすものが展示されているのです。
それは、1962年のイエメン革命が起こるまで、この地を治めていたイマーム(王様)が民衆への見せしめのために行った残虐行為の写真なのです。
歴史的、美術的価値にはあまり興味がない僕なのですが、そういった下世話なものになるとがぜん興味が沸いてくる僕なのです。

朝8時には宿を出て、やる気満々博物館へ向かいますが、ひとつ心配なのが場所がよく分からないということです。
ガイドブックの地図には一応場所が記されているのですが、大雑把で分かりずらい。
分からなければ人に尋ねればいいだけなんですが、ここイエメンではそれがまた問題なのです。
イエメン人が不親切で教えてくれないということは、もちろんないです。
それでは、いったい何が問題なのか。
それは、国立博物館をアラビア語でなんというか分からないってことなのです。
日本が誇るガイドブック「地○の歩き方」には、説明の箇所に「国立博物館」「The National Museum Salah」と書いてある。
いったい何を考えているのだ!!と僕は声を大にして言いたい。
国立博物館と書くのは日本語のガイドブックなので当然だとして、その横が何故英語なのだ。
ここはアラビア語で書くべきじゃないのか。
アラビア語表記が難しいのなら、せめてカタカナで発音を書いて欲しいものだ。
僕は必死に、フェーン(どこ?)ナショナルミュージアム?と訊くが、みんな英語が分からず、僕がどこに行きたいのかさっぱり理解してくれない。
僕も身振り手振りで必死に伝えようとして、相手も一生懸命理解してくれようとしてくれるのだが、通じない。
だいたいガイドブックに載っている地図の表記もおかしいのだ。
通り名も日本語、英語表記なので地図を見せて場所を尋ねても、相手が理解してくれることはまずない。
この役立たずのガイドブックが~!!
ああ~、いらいらする。
ふ~、僕としたことがちょっと熱くなってしまいました。

そんなこんなしながら博物館を探しながら歩いていると、いつの間にか旧市街にたどり着きました。
せっかくなので、こちらを先に見学する。
ここタイズの旧市街も古い建造物が残されており、意外にもなかなか良かった。
そして、そこを出てアイスクリーム屋をみつけ、そこで一休み。
アイスを食べ終わり、そこの店員に博物館の場所を尋ねるとやっと理解してくれ、親切にも建物の前まで連れていってくれました。
お~、これでやっと残虐写真を見ることができるぞ。
かつてイマームの城であった博物館の入り口をくぐります。
しかし、そこに現れたおっちゃんが一言‥‥。
「ツデイ、クローズ。」
え?まだ12時なんですけど。
「クローズ、12 オクロック。」
午後はやらないんですか。
「12 オクロック、クローズ。」
問答無用に門前払いされます。
なんてこったい、そりゃないよ~。
これもすべてガイドブックのせいだ~。
開館時間も書いてないぞ~。
ああぁぁぁぁ。

気を落とし、博物館から出て歩きます。
15分ほど歩くと、なんか見覚えがある風景が。
あっ、僕の泊まっているホテル‥‥。
ああぁぁぁぁ。



イエメン人女性の顔を見ることは、男の僕にとってほとんどできない。
だいたい街を歩いている数も男と比べて、圧倒的に少ない。
外食をしている女性は、まずいない。
マーケットで買い物をするのも、男と子供の仕事だ。
出歩いている女性でも、黒い衣装を全身にまとい、顔も黒い布で隠し、目だけを出している。
しかしながら、イエメン人の女性はすごく綺麗だと思う。
それは、小さな女の子からの推測である。
10才くらいまでの女の子は、スカーフを頭に被っていることは多いのだが、顔は隠さず露出させていることが多い。
その顔は、目がぱっちりしていて鼻も高くとても可愛らしい顔をしている。
中には、ドキッとさせるような娘もいる。
この娘らが大きくなれば、すごい美人になるということは間違いないと思うのだ。

また、大人の女性は、写真に撮られることをいやがるし、話すこともできない。
すぐに声をかけてくる男どもとは違い、目があってもすぐにそらされてしまう始末。
しかし、子供は違う。
ハロー、ハロー、ファッツアネーム?などと気安く声をかけてくるし、スーラ(写真)、スーラと言って写真を撮ってもらいたがる。
いったいこんなに人懐っこい陽気な女の子たちが、どのような経過を経て、あの黒ずくめの女性に変化していくのか不思議である。
ただ、中身はあまり変わっておらず、その陽気で可愛らしい笑顔をその黒衣装の中にそっと隠しているだけかもしれませんが‥‥。

タイズからアデンに移動してきました。
アデンは、イエメン一の国際貿易港です。
イギリス植民地、その後の社会主義時代の南イエメン時代を経て、イスラム色が薄れ、古い建物も少なく、働く女性やジャンビーアを持たない男たちの姿も多く見かけます。
町外れにはショッピングモールもあり、中には先進諸国のものと変わらない近代的なスーパーがあり、そこではレジで女性が会計をしていたりして驚きました。
その他には、フランスの天才詩人ランボーが働いていたという建物があります。
そんな所を観光しながら、夕方には、町の西にあるアデン・タンクという1世紀に造られた貯水池に行きます。
そこには、たくさんの木が植えられており緑の多い庭園のようになっていて、多くのイエメン人も涼みに来ています。
アデンの人だけではなく、サナアから旅行できているイエメン人もいました。
そして、その中には黒衣装を着た20人くらいの女性の集団もいました。
この人たちも観光で来て浮かれているのか、珍しく楽しそうにみんなキャーキャー騒いでいます。
年の頃は、20才前後と思われます。
僕に、恥ずかしそうにハローと声をかけてくる女の子もいます。
お~、こんなちょっとしたことでも感激な僕であります。
やっぱりいい感じじゃないですか、イエメン人女性は。
何人かがカメラを持っています。
そして、貯水池の前に全員並んで記念撮影~!
はい、チ~ズ!!
って、おい!!、目しか見えてないのに記念撮影の意味があるのか?
とひとり思わず突っ込みを入れる僕なのでした。

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