ふたたび旅(アフリカ編 たびタビ旅part2)

約2年4ヶ月の旅(http://zensin.jugem.jp/)からはや5年あまり。もう行かないはずだったのに、3回目の長い旅へ…。我が旅人生堂々の3部作完結アフリカ編!!…のはずです。

カテゴリ: バングラデシュ



朝7時半に宿をチェックアウトし、リクシャに乗って国境へ向かいます。
あっという間に、およそ15分で到着します。
それもそのはずアガルタラの町の中心から国境までは約4キロほどしかありません。
国境の周辺は建物などもほとんどなく、のどかな風景が広がります。
ここの国境はあまり外国人のツーリストは通らないようです。
台帳に名前やパスポートナンバーなどを記入する時に、今まで記帳された分を見ると、一週間に4、5名ほどしかいませんでした。
出入国手続きは、インド側のカスタムでたまに荷物からお金を抜かれるということもあると聞いていたのでちょっと心配していたのですが、そんなこともなくスムーズに終えることができました。

そして、やってきましたバングラデシュ。
と言ってもバングラデシュ側の国境も緑の田んぼが広がっているばかりです。
リクシャに乗り、列車の駅のあるアカウラの町まで出なければなりません。
リクシャの値段はガイドブックによると50タカ(約80円)が相場なようです。
国境にたまっているリクシャのおっちゃんたちに値段交渉してみます。
しかし、町までの交通手段はリクシャしかないため、外国人と見て100タカとふっかけてきます。
いくら粘っても80タカまでしか下がりません。
どうしようか妥協してしまおうかと迷っていると、突然横で様子を見ていたおっちゃんが割り込んできて、リクシャのおっちゃんたちに、お前らなにそんなに高い値段を言っているのだ、駅までなら30タカで十分だろと文句を言い始めます。
普通地元の人はこういった場合は旅行者の味方になってくれることはあまりありません。
僕は嬉しくありましたが、ちょっとびっくりしました。
そして、リクシャのおっちゃんたちとそのおっちゃんは、僕のことをそっちのけで激しく口論を始めます。
いったい僕はどうしたらいいのだ。
なぜだか僕がまぁまぁとなだめることになり、結局50タカを払うことになりました。
助けてくれたおっちゃんはそれでも30タカで行けるのにと憤慨していましたが、とにかくもともと僕が希望していた値段で行けることになったので良かったです。
おっちゃん、ありがとう。

アカウラの駅に着き今日の目的地であるクミッラまでの列車のチケットを購入します。
列車の出発時間までは45分ほど時間があったので、駅前にある小さな食堂に入り朝食を食べることにします。
しばらくすると僕の向かいの席にバングラデシュ人の男の人が座り話しかけてきました。
「こんにちは。日本人ですか?」と。
日本語です。
その人は、5年ほど前まで7年間日本で働いていたらしく、日本人である僕を見て懐かしく思い声をかけてきてくれたようなのです。
こんな小さな町で日本語を話せる人と出会えるとは思ってもいなかったので、僕もちょっと嬉しかったです。
これからクミッラに行くんだというような話をしていたら、列車がホームに入ってくるのが見えました。
時計を見ると10時15分。
僕の列車は10時半発なので、これが僕の列車であるはずがありません。
バングラデシュですから、遅れることはあっても早まることはないでしょう。
そう思って座っていると、他のバングラデシュ人と話していた日本語を話せる兄ちゃんが僕に「あれがあなたのクミッラ行きの列車です。早く行ってください。」と言ってくるのでした。
えっ、なんで?と思いつつも、慌てて荷物をつかみ、清算を済ませ、駅に向かい走り出したのでした。
そして、なんとかその列車に乗り込むことができたのでした。
ふ~間に合った~とほっとします。
しかし、なんで早く来たのであろう。
あっ、もしかして時差か。
そう、パキスタンはインドより時間が30分早いのでした。
すっかりそのことを確認し忘れていました。
危なかった~。

一時間ほどでクミッラの町に着き、駅近くの宿にチェックインしてさっそく町を歩いてみます。
するとたくさんの人に見られ、声をかけられ、こっちへ来いと呼ばれます。
バングラデシュ人はほとんど英語を話せないので、「どこの国だ?」「名前は?」ぐらいしか訊いてこないのですが、とりあえず話しかけてきます。
バングラデシュを旅したことがある人は、とにかく人に見られ話しかけられ続けると言います。
芸能人、有名人の気分を味わえると。
確かにその通りです。
もちろんこれまで旅した国でももの珍しそうに見られたり、話しかけられたりすることはありましたが、ここまで積極的にしてくる国はありませんでした。
でも、いろいろ話しかけられるのはけっして悪い気分ではありません。
地元の人と気軽に交流を持てることは楽しいことであります。
仏教遺跡に行くと英語を話せる大学生に話かけられその周辺を案内してもらったり、一緒にリクシャに乗った人からは家に招待されお菓子をご馳走になったりしました。
いや~おもしろい国です。
そうして、一日中声をかけられまくったのでした。

いつの間にか日も暮れ暗くなりました。
一日中歩き回ったのでくたくたに疲れ、お腹もぺこぺこになりました。
早くなにか食いたいと食堂に向かいます。
しかし、その途中やっぱり声をかけられます。
とりあえず軽く手を振り挨拶して通り過ぎようとしたのですが、その人はかなり強引でまあまあこっちへ来いと言って無理矢理イスに座らされます。
そして、流暢な英語で、俺はビジネスマンで日本のコマツやヒタチの製品を扱っているのだと熱く激しく語るのでした。
僕はお腹すいたなぁと思いつつ、うんうんとうなずくしかありません。
10分ほど話をしてようやく開放され、やっとのことで食堂にたどり着きました。
フィッシュカレーを注文します。
そして、料理がテーブルの上にひろげられ、さあ食おうと思った時、やはり向かいの席に若い男の子が座り、「どこの国?」と訊いてくるのでした‥‥。

なんとかお腹も満たされので、早くホテルに戻りシャワーを浴びてのんびりと寛ぎたいです。
今日は本当に疲れたのです。
ホテルの階段を上がり2階にある自分の部屋へ戻ります。
ホテルのレセプションの前には従業員らしき若者が数名たむろしています。
そして、彼らは僕を見つけると部屋の前までついてきて、やはり「どこの国?」「名前は?」と訊いてくるのです。
部屋のドアを開けて中に入ってもずっと話かけてきて、なかなかドアを閉めさせてはくれません。
もう疲れているからと言って、やっとのことでドアを閉めたのでした。
とりあえずベッドに腰掛けます。
ふ~とため息をつきます。
ここは僕のプライベートな空間。
やっと自分だけの時間を持つことができました。
一日でもこんなに疲れるのに、ずっと注目され続ける芸能人ってすごいなと感心してしまいます。
とりあえず今晩はシャワーを浴びゆっくり寝るとしよう。

トントン。
誰かがドアをノックします。
ドアを開けるとそこには先ほどの若い従業人たちと、50歳くらいのおっさんが立っていました。
そのおっさんは僕を見ると言ってきました。
「私は夜のホテルの責任者です。一晩中受付にいますので、何かありましたらお申し付け下さい。」
そして、「どこの国ですか?」と。

ああぁ、早く僕をひとりきりにさせてくれ~~。



チッタゴンへ行くため朝8時に駅に行きます。
たくさん列車が走っているのではないかと思っていたのですが、チッタゴン行きは11時半までないと言います。
仕方がないので駅のホームで待つことにします。
本でも読もうかと思うのですが、やはりバングラデシュ人が話しかけてくるのです。
少し英語を話せる人とは会話にもなるのですが、ほとんどの人が「どこの国だ?」「名前は?」とだけ訊いてくるのです。
そしてそうかそうかと納得してその人が去ると、その様子を回りで見ていた別の人が来てやはり「どこの国だ?」と訊いてきます。
お前さっき横で聞いたいただろうとつっこみを入れたくもなりますが、とにかく珍しい外国人と話してみたいのでしょう。
また英語を話せる人としばらく話しをしていると、いつの間にか僕の回りには人だかりができていてみんなで僕をじ~っと見ています。
それも、にいちゃん、おっさんばかりです。
にこりともせず、たたじ~っと見ているのです。
おいおいいったいこの僕に何を期待しているのだ。
とりあえずにこりと微笑んでみます。
それでもにこりともせず、ただじ~っと。
勘弁してくれ~。

思ったよりもきれいで快適な列車は、予定通り3時間でチッタゴンに到着しました。
チッタゴンはバングラデシュの第二の都市であります。
大きな町であるからかクミッラと比べ人々も僕をじろじろと眺めることは少なく、声もあまりかけてこず少しほっとします。
宿にチェックインした後、町を歩いてみます。
道路にはものすごい数のリクシャが走っています。
インドにもリクシャは走っていましたが、その数はバングラデシュの方が断然多いです。
間違いなく車の数よりも多く、道路を埋め尽くしています。
そんな町の中を歩いていると後ろから「こんにちは」と日本語で話しかけられました。
振り向くとそこには40歳くらいのバングラデシュ人の男の人がいて、続けて「日本人ですか?」と訊いてきます。
話をしてみるとやはりこの人も日本で働いた経験があるようなのです。
その人はアリさんといい、2年前まで8年間日本で働いたといいます。
バングラデシュには日本語を話す人が多いとは聞いていましたが、確かに多いです。
入国2日目にして2人に会ったことになります。
この人もまた日本人である僕を見て懐かしくなって話しかけてきてくれたみたいなのです。
顔を輝かせながら日本は楽しかったなと話します。

会社の人とよく居酒屋に行ってビールを飲んだなぁ。
モスリムだけどビール飲むの?
飲むよ、飲むよ、ここでは飲まないけどね。フジテレビの昼の番組のタムラさんもおもしろかった。
タムラさん?
ほら、サングラスをかけた‥。
あ~タモリね、笑っていいともか。
そうそう。パチンコも楽しかったな。
でも負けるでしょう。
負けないよ、だいたい買ったよ。一日3万円くらい儲けたね。
すごいですね~僕は買ったことないですよ。

そんな風に日本で暮らしのことを楽しく語ってくれると、日本人としてはやはり嬉しいもんです。
外国人が日本で働くというと、低賃金で酷使され、差別なども受けていやな思いをするんじゃないかとも思いますが、そうばかりではないようですね。
もっともそういう思いをした人がいても日本人である僕を見ても話しかけてくることはないと思いますが。
アリさんはここに戻ってきた後、日本で貯めたお金を元に何軒かの服屋を開店したようなのです。
僕もその内の一軒に連れて行ってもらいました。
そこには4、5名の従業員が働いていて、アリさんは立派な社長さんでした。
えらいですね。
それに比べ、僕ときたら‥‥。
そう言えば、もう2年近く旅を続けているってことは、それだけ働いていないってことなんですよねぇ。



バングラデシュにもインドと同様にたくさんの物乞いがいます。
しかし、そのお金をもらおうとする方法は若干の違いがあるように思えます。
インドの物乞いはあげないと断るとあっさりと引き下がることが多いのですが、バングラデシュの方は断ってもしつこくついてきます。
インドは数打ちゃあたる方式というかとにかく目の前に通るひとにできるだけ多く声をかけてお金をもらおうとするのに対して、かたやバングラデシュはこれだと目をつけた人に対して粘り強く要求する一本釣り方式と言いましょうか。

今日は昼間、甲羅だけでもゆうに70センチは越えるだろうかという巨大すっぽんがいるモスクやビルマ戦線で亡くなった日本人兵士も埋葬されている第二次世界大戦墓地などを観光した後、夜は駅前にあるマーケットの辺りをうろうろします。
そこでミネラルウォーターでも買おうかと店の人に値段を尋ねていたら、肘のあたりをトントンと叩かれます。
振り返るとそこには、赤ちゃんを抱いた小さな女の子がいます。
そして、彼女は「バクシーシ」と言ってお金を要求してきます。
ノー!!と言って彼女を無視します。
そして、店の人との会話に戻りますが、やはりトントンと肘を叩いてきます。
彼女はまだそこにいます。
ノーと再度言い、その店を離れ彼女を置いて歩き出します。
しかし、彼女は僕の横についてきて、トントントントンとずっと腕を叩き続けます。
そこまでしつこいといい加減腹が立ってきます。
絶対お前なんかにお金をあげる~と思ってしまいます。
僕はその後もいろいろな店を見て回りますが、彼女はずっとついてきて僕にトントントントンとやり続けます。
時間にして15分以上は経っているのではないでしょうか。
あ~しつこい、しつこい。
僕に触るな。
ドントタッチ!!
しかし、ここまでしつこいとさすがにちょっと女の子に対して情みたいなものが湧いてきます。
そして、ちょっとだけお金をあげてもいいかなと思ってしまうのも事実であります。
う~ん、おじょうちゃん、おっちゃんの負けだよ。
ほら、2タカだけあげるよ。
これで許してくれるかな。
バングラデシュ、一本釣り物乞い恐るべしであります。



チッタゴンの東にあるチッタゴン丘陵のランガマティという町に行くことにします。
ここは先住民族とバングラデシュ政府との間で長く内戦状態となった地域であり、長らく外国人旅行者の立入りも禁止されていました。
しかし、1997年に平和条約が結ばれたため、現在では外国人も旅することができるようになったのです。
それでも、行くためにはパーミット(許可)を取らなければら状況が続いていたようなのです。
しかし、ガイドブックによると最近はもうパーミットさえ必要がなくなっているらしく、またビザを取る時に領事館の人に確認してもいらないということなのでした。
その一方やっぱりまだパーミットは必要らしく、バスのチケットを購入する時にも提示させられるという話を、他の旅行者から聞いたのでした。
いったいどっちの話が本当なのだ。
どこか役所に行って訊けばすぐ分かることだとも思うのですが、肝心のその役所の場所が分からない。
ガイドブックにもその記載は全くありません。
宿の人に訊いても分からないと言うし、バス会社に行って訊こうにもランガマティ行きのバスターミナルは町の郊外にあるのでわざわざそのためだけに行くのもお金もかかるし面倒くさい。
ということで、もう必要ないという方に賭けて、パーミットなしで直接バスターミナルに向かうことにします。

朝8時に宿をチェックアウトして、オートリクシャに乗りバスターミナルへ向かいます。
料金は60タカ(約90円)もします。
15分ほどでバスがたくさん止まっている場所へ到着します。
オートリクシャを降りて、ランガマティ?ランガマティ?と周りにいた人に尋ねます。
するとチケット売り場を教えてくれます。
そこに行き、おそるおそるランガマティに行きたいと告げます。
すると、そこにいたおっちゃんは、「パーミットはあるのか?」と。
オーマイガッド!やっぱりいるんだ~!!
持っていないと売ってくれないの?と諦めきれず粘って訊きますが、つれなくNO!と言われます。
あ~どうしよう。
今からパーミッションを取りに行くか、それとも諦めて行き先を変更するか。
でもここまで来て行かなければ後々すごく後悔することになりそうです。
よし、パーミットを取りに行こう!!
そう決意して、チケット売り場のおっちゃんにどこでもらえるのかを訊くと、住所を教えてくれました。
オートリクシャにその住所を見せ連れて行ってもらいます。
また55タカもかかります。
そして、連れていかれた場所は、昨日観光した第二次世界大戦墓地のすぐ近く。
昨日、その前を歩いています。
く、くやしい~。

許可証は2時間ほど待たされましたが、無料で特に厳しい質問をされることもなくもらうことができました。
そしてえ、再びオートリクシャに乗りバスターミナルへと向かいます。
どうだこれを見ろというばかりにバーミッションをチケットカウンターのおっちゃんに突き出し、ランガマティと言います。
するとあっさりチケットを売ってくれます。
よし、これで行けるぞ。
バスは、2時間半ほどでランガマティに到着します。
向かう途中2回ほどチェックポイントがあり、パーミットを提示させられ名前やパスポート番号などを記帳させられましたが、特に問題はありませんでした。
それでもパーミットを取りに行ったりして出発が遅くなったこともあり、着いた時にはすでに3時になっていました。

ランガマティはカプタイ湖に囲まれた湖畔の町です。
小さく長閑な町です。
船着場へ行ってみます。
ここから乗合ボートに乗り、湖を渡りボルコルという山岳民族が暮らす山間の集落へ行けるとガイドブックに書いてあったので、明日のボートの出発時間を訊いておこうかと思ったのです。
そこで、ボルコル、ボルコルと連呼しますと、そこにいた人が明朝7時半に出発すると教えてくれました。
しかし、その後、ボルコルへ行くパーミットは持っているのか?と一言。
そして、なかったら乗れない、警察へ行ってこい、と。
ああ~パーミット、パーミットって、鬱陶しいんじゃ~!!



朝8時頃、目が覚めてベッドの上に横たわりながらしばらく本を読んだ後、部屋を出ます。
ホテルのレセプションの前を通り過ぎた辺りで、「おはようございます。」と日本語で話しかけられます。
同じ宿に泊まっているバングラデシュ人の男の人です。
ダッカに住んでいるらしいのですが、商売のためにここランガマティに来ているらしいのです。
この人もまた2年ほど前まで7年間ほど日本で働いていたということです。
しかし、それだけ長く日本に住んでいたにもかかわらず日本語はかなりたどたどしい。
一年間近くスペイン語圏の国々を旅していたのにほとんどスペイン語を話せない僕がそんなことを言えた義理でもないんですが。
そのおっちゃん、僕を朝食に誘ってくれます。
宿のすぐ横にある店に入ります。
バナナとクッキー、コーヒーを奢ってくれます。
しかし、このおっちゃん、身なりやその顔つきから怪しい雰囲気が漂いまくってます。
日本でなにやら悪さをしている不法滞在の外国人って感じです。
話せば話すほどその怪しさは増します。
新宿でよく遊んでいたというので、でもヤクザとか怖い人もたくさんいたでしょうと訊くと、ヤクザさん、全然怖くないよ、だってトモダチ、トモダチと言って、わははと笑います。
また日本に行きたいが難しいねと言うので理由を尋ねると、2年前新宿で飲み歩いていて警察に捕まっちゃって強制帰国させられた、不法滞在していたからねと言って、またわははと笑います。
あんたそのままじゃねえかとつっこみを入れたくなります。
果たしてこの人、日本でいったい何をしていたのでしょうか。

朝食を食べた後、怪しいおっちゃんとは別れ、町を歩きます。
ボルコルに行くのは諦め、ランガマティの町で一日のんびりしようと決めたのです。
船着場にいったりしてぶらぶら歩いていると、「外国人?」と英語で話しかけられました。
そこには、日本人のような顔つきをした若い男の人が立っていました。
チャクマ族の人です。
チャクマはチッタゴン丘陵に住む先住民族の中で最も人口が多い民族です。
彼らはモンゴル系であり、一見したところタイ人、ミャンマー人に似ていて、バングラデシュ人の大部分を占めるベンガル人とは全く違います。
宗教もイスラム教徒が9割を占めるバングラデシュにおいて、仏教を信じています。
チャクマ族をはじめとする先住民族の人々はずっと昔からこの土地で暮らしていたのですが、政府がベンガル民族への同化政策をとり、また彼らの土地を取り上げベンガル人に与え移住させることをしてきたのです。
そもそもここにあるカプタイ湖も水力発電所のために川を堰き止め造られた人口湖であり、その水の下には先住民族の人々の耕作地、王宮、民家などが沈んでいるのです。
そのような状況の下、先住民族が自治を求めてゲリラ闘争を行い、このチッタゴン丘陵が内戦へと陥ったのです。
現在では一応平和条約が結ばれていますが、政治的不安定な状況は続いており、そのため旅行者もパーミットが必要とされているのです。
それにしても、国を持たない民族というのは、チベット、クルド人など弱者として常に迫害される運命にありつくづく可愛そうであると思います。
そういった民族が自治を求め政治的、武力的に戦っていくというのは当然の成り行きであり、これからもどんどんと新しい国が増えていくのではないでしょうか。

僕に話しかけてきた人は、学校の先生をしていて、外国人である僕に興味を持って話かけてきてくれたようです。
なのでお茶を飲みながらしばらく話をします。
その後、彼はマーケットの中を案内してくれます。
するとその途中、近くに教え子の家があるから良かったら寄ってみないかと誘ってくれました。
チャクマの人の家を見ることのできるせっかくのチャンスなので、喜んで連れて行ってもらいます。
案内された家は、嬉しいことに女子生徒の家であって、またその女の子がちょっと可愛かったもんでおっちゃん少しドキドキしてしまいました。
部屋の中には仏教のお寺や有名な僧侶の写真が飾られています。
そんな所でチャクマの人と話をしていると、バングラデシュにいることを忘れてしまいそうです。
そして、しばらくすると、その家のお母さんが僕になにか日本の歌を歌ってくれないかと頼んできました。
あちゃ~音痴の僕にそうきましたか。
そもそも歌詞を覚えている歌なんてほとんどありません。
まっ、相手は日本語が分からないのだし適当に歌っちゃおうかと、しぶしぶながらオッケーします。
するとおばちゃんはちょっと待っててと言い残し、奥に部屋に消えていきました。
しばらくして戻ってくるとその手には、ビデオカメラが‥‥。
おいおい、聞いてないぞ、そんなこと。
一応記録に残るとあっちゃ、適当な日本語で歌ったらまずいか。
何か歌詞を覚えている歌はないか、少ない容量の頭脳をフル回転させ検索します。
そして、導かれた答えが‥‥寺尾聡の「ルピーの指輪」。
なんでやねん。
こんな歌、最近の若い人は知っているだろうか、知らないだろうなぁ~。
そして、バングラデシュの田舎町の小さな家の中に音程が外れたルビーの指輪が響きわたることになったのでした。
誰もこのビデオを見ることがないようにと祈りつつ。

彼らと別れ、一人で近くの仏教寺院に行きます。
ちょうど訪れた時間帯が一般の人が立ち入り禁止であったので、寺の前の広場の木陰に座りそこにいる猿を眺めながらぼ~っと過ごします。
すると黄色の布の僧侶の服をまとった3人の若い僧侶が歩いてくるのが見えました。
ここの寺の人たちかなと思い見ていると、お寺の前で記念撮影とかをし始めるので、どうやら違うようです。
話をしてみると、彼らはインド人でここのすぐ東に位置するミゾラム州から観光に来ているといいます。
彼らに誘われ、一緒に歩くことにします。
しかし、彼らは、まったくお坊さんらしくありません。
CD屋へ行ってCDを物色し、値切り、高いと言って文句を言ったり、写真を現像しにいってそのできあがった写真をみて騒いだり、そして、僕にジュースなどを奢ってくれたりとお金も持っているのかかなり気前もいい。
また、彼らは流暢な英語を話しますが、一人を除いてベンガル語はほとんど話せないようです。
英語が通じないなんて不便だと、さんざん文句をたれています。
しかし、彼らもまたチャクマであるみたいで、ここに住むチャクマの人々とは普通に会話しています。
読み書きはできないようなのですが、普段はチャクマ語を使って生活しているようなのです。
彼らは明日にはインドに戻ると言います。
インドとバングラデシュの間は比較的自由に行き来ができるのかと尋ねると、彼らは顔を曇らせすごく難しいと言います。
だからこんな格好をしているんだと、着ている黄色の服を指差し、丸めた頭を手でさすります。
僧侶の格好をしていれば国境の審査は厳しくないからね。
でも、インドに帰ったらこんな服は着ないし、また髪も伸ばすよ、と言い楽しそうに笑うのでした。
近頃なんでも偽装の時代のようですが、ここには偽装僧侶がおりました。

夕方になり彼らと別れ、宿に戻ります。
その途中、道端に人だかりがしているのが見えます。
なんだろうと覗いてみると、3つの大きなボウルの中に何百匹ものヒルがうようようしているのが見えます。
それを前になにやら写真のようなものを掲げながら、熱弁している人がいます。
あっ、今朝会った日本語はなせるおっちゃんだ。
おっちゃんは僕に気づくと、微笑み、手を振ってきます。
いったい何を売っているのだ?
周りには男どもが真剣な顔で話に聞き入っています。
どうやらヒルから作ったという精力剤のようなのです。
ヒルの精力剤?
そんなもの効くのか?
おっちゃん、どこまでも怪しすぎます‥‥。



ランガマティからバンドルボンへ向かいます。
バンドルボンもチッタゴン丘陵にありたっくさんの民族が暮らしています。
ここもパーミットが必要であるが、ランガマティの分と同時に取得していたので問題はなし。
ただ、パーミットを取る時に、ランガマティからバンドルボンへ行くには、一度チッタゴンに戻ってから再度向かわなければならないと言われたのです。
そうなるとすごく遠回りしなければなりません。
バンドルボンはランガマティの南にあり直接行くバスもあるというのに。
しかし、バス会社に行くとあっさりとランガマティ行きのチケットを売ってくれたので、直接行ってみることにします。
チェックポイントで少しくらい小言を言われるかも知れませんが、知らなかったと言えば戻らされることはないだろうと思い。

そして、心配していたチェックポイントがやってきます。
係りの人はバスに乗り込んできて僕を見ると、降りろと言います。
そして、僕は横の掘っ立て小屋のような所に連れられ、椅子に座らされ、台帳に名前やパスポート番号を書かされます。
それから、係員はちょっと待てと僕に言い残し、奥にある別の建物に行き誰かと電話で話をしています。
なかなか戻ってきません。
10分くらい経ったでしょうか。
やっぱりまずかったのか。
バスの他の乗客は心配そうに窓から僕を見ています。
僕一人のためにみんなを待たせてしまって、なにやら申し訳ない。
そして、係員が戻ってきました。
彼は笑顔を見せ、「行っていいよ。」と。
いや~嬉しいですね。
ドンノバット(ありがとう)と僕も笑顔で言い握手してバスに戻ります。
他の乗客も良かったねみたいな感じで微笑んでくれます。
いや~ほっとしました。

バンドルボンには12時ごろ到着しました。
後は宿にチェックインして、午後を仏教寺院を見たりしてのんびりすごすだけです。
しかし、‥‥ホテルがことごとく満室であります。
あまりにも断られるのでまた外国人だからかなとも思いましたが、どうやら本当に満室のようです。
予約で全てうまっていると言います。
なんでだ~と思いますが、宿のおっちゃんが言うには、今日は独立記念日で祝日だからみたいなんです。
だから町中にバングラデシュ国旗が掲げられていたのかと納得しましたが、納得したからといってホテルの部屋が空くわけでもありません。
小さな町なのでそれほどホテルの数があるわけでもなく、多分町中にある全てのホテル10軒ほどあたりましたが、結局全て満室でした。
もういやになってきます。
次の目的地に行ってしまおうか。
途方に暮れます。
すると見かねたホテルの若い従業員が警察に行って相談したらなんとかしてくれるかもよと言ってくれます。
そして、藁にもすがる気持ちで警察署に行ってみます。
何人かの警察官と話した後、偉そうな恰幅のいい人の部屋へ連れていかれます。
その人は、明日この町に国のお偉いさんが来ることになっていて、その準備で色々と忙しいんだよと言って電話をしたり書類に目を通したりしています。
そういうこともありホテルがうまっているのかもしれません。
僕が泊まるホテルがないと告げると、ちょっと待っててと言い、どこかへ電話をかけてくれます。
バングラデシュ警察の権力をこの僕にまざまざと見せてくれ~と願います。
が、その偉いおっちゃんは、受話器を下ろすと、やっぱりホテルはないね~今日ここに来たのはバッドラックだね、で、どうする?
おい、そんだけかい!
と突っ込みいれたくなりますが、はい次の目的地コックスバザールまで移動させていただきますとおとなしく答えるのでした。
わずか3時間のバンドルボン滞在となったのでした。

コックスバザールには6時半くらいに着きました。
日は沈み、あたりは暗くなりかけています。
早くホテルを見つけたいです。
着いたバスターミナルはガイドブックの地図に載っている場所と変わっているようで、いったい自分が今どこにいるのか位置関係がつかめません。
とりあえずリクシャに乗りホテルへ連れていってもらうことにします。
そして、20分ほど乗って連れていかれたホテルは、またしても満室。
がっくりです。
そして、次に連れていかれたホテルは、部屋は空いていましたが、値段が1500タカ(約2300円)もします。
昨晩払った値段の10倍です。
とてもじゃないけど払えません。
その後も何軒かホテルを回りますが、どこも1000タカ以上します。
中にはお一人客はお断りですなんて訳の分からんことぬかすホテルもあります。
ああぁ、いったいどうしたらいいのだ。
もうすっかり真っ暗です。
リクシャのおっちゃんは、まけせとけ安いホテルを見つけてやると言います。
こうなってはもうおっちゃんだけが頼りです。
そして、連れて行かれたホテルは500タカのところ。
けっして安くはないが、もう贅沢は言ってられない。
泊まろう。
時間は7時半を回っています。
1時間以上も探し回っていたことになります。
おっちゃん、ありがとう、ご苦労様。
チップを含めちょっと多めにお金を払ってあげます。
あれ?でも、このホテルの近くにある建物、もしかして僕が最初に着いたバスターミナル?
ということは、1時間もかけて結局元のところに戻ってきただけ?
もしかしておっちゃんに騙された?
でも、そんなこともういいや、ベッドの上でぐっすり眠れるなら。
もう疲れました、今日は。



コックスバザールは海沿いの町であります。
その海岸線は世界最長とも言われ、バングラデシュ人のハネムーンのメッカともなっています。
バングラデシュ人とコックスバザールへ行くという話をすると、みんなあそこは世界一長いビーチなんだと自慢げに言います。
しかし、僕はあえて言いたい。
それがなんなんだと。
確かに長いかもしれないが、海はうす黒く濁っていて全く綺麗じゃないし、そして、これが一番重要なことなんですが、そこで泳いでいる女の人は全くいないじゃないか。
そこには数名の若者と子供たちが波打ち際でたわむれているだけです。
トップレスとまでは言わないが、水着姿の女性の姿がないビーチなんてなんの価値があるのであろうか。
そのビーチが青く澄み切った美しいのならまだしも。
イスラムの国にビーチ、まさしく宝の持ち腐れであります。

そんな思いを抱きながら、砂浜に生えている木の影に座りながら、漠然と海を眺めていました。
するとそこにトップレス、いやオールヌードの女の子が、僕に近寄ってくるじゃありませんか。
といっても、もちろんまだちっちゃな3歳くらいの女の子なんですけどね‥‥。
はぁ~。



本土の南端から13KM南西に位置するバングラデシュ最南端の珊瑚礁の島、セントマーティンへ向かいます。
まずコックスバザールからテクナフまでバスで2時間ほどかけて行きます。
10時過ぎに着き、バスターミナルから船着場までリクシャで連れていってもらいます。
5分ほどで着きましたが、そこは小さな川でたくさんの木造の小さな船が停泊しているだけで、とてもここからセントマーティンへの船が出ているようには思えません。
そこにいた人にここからセントマーティン行きの船が出るのかと訊くと、2時にここから出発すると言います。
本当か?とも思いますが、とりあえず昼飯を食ったりしてそれまで待つことにします。
しばらく待ちますが、それらしき船はなかなかやってきません。
しかし、すぐ横に止まっている小さなぼろい船に麻布に詰められた荷物やカゴに入れられた鶏などが積み込まれていっています。
まさかこの船じゃねえだろうなと思っていると、2時前になり乗れと言われた船はまさしくそれでありました。
足を伸ばすスペースがないくらいたくさんの人が乗り込みます。
船は、荷物と人の重みでかなり沈んでいるように思えます。
そして、船は激しいエンジン音を鳴り響かせ出発します。
すぐに川から海へと出ます。
広く大きな海に、ぼろく小さな船。
かなり心細いものがあります。
沈むんじゃねぇのかと、普段あまりそういった事を気にしない僕がちょっと心配になります。
まるで祖国を捨て、希望を求めて海に出た、難民船のようであります。
左手の海の向こう側には陸地が見えます。
そこはもうミャンマーです。
僕がこの旅を始めて2カ国目に訪れたのがミャンマーであります。
ということは、1年10ヶ月ほどかけて、「ほぼ」世界一周したことになります。
よくここまできたもんです。
現在ミャンマーとバングラデシュの間には外国人が自由に行き来することができる国境はないのですが、将来ミャンマーの政治体制が変わり自由に旅することができるようになったら、タイからミャンマーを通りバングラデシュ、そしてインドへと通じるバックパッカー垂涎のルートができるのですが。
そこを旅すると考えただけでわくわくしてきます。
まっ、旅に興味がない人にはどうでもいいことなんですが。

3時間ほどしてセントマーティン島に到着しました。
なんにもない歩いて一周できるほどの小さな島なんですが、バングラデシュ最南端です。
とにかく「最」がつくだけでなんとなく嬉しくなる僕でした。



セントマーティン島はただの小さな島です。
海もとりたてて綺麗ってほどではありません。
それでもたくさんのダッカやチッタゴンからのバングラデシュ人がここを観光で訪れています。
もちろん女の子が水着で泳ぐってことは望むまでもないことですが。
大勢の観光客が訪れるからか島の人もそれほど素朴っていう感じでもなく、都会のお金持ちから儲けてやろういう態度がみられます。
することもないので歩いて島を一周することにします。
海岸沿いをしばらく歩いていると、一人の少年が声をかけてきました。
なにを言っているのかよく理解できなかったのですが、こっちへ来いというのでついていってみます。
すると大きな椰子の木の下に連れていかれました。
少年は木の上の方を指差します。
どうやら椰子の実を買わないかということみたいです。
値段を訊くと20タカ(約30円)というのでちょっと高いような気もしましたが、果たしてどのように椰子の実を採ってくるのか興味があり、頼むことにしました。
すると少年はさっそく木に取り付きます。
体の前で木を抱きかかえるようにすると、手と足を使いそのままするするっとあっという間に登っていきます。
その高さは15m以上はあるように思えます。
落ちたら軽い怪我どころではすまないでしょう。
高い所が苦手な僕には絶対無理です。
というよりそんな木に登れる腕力もないでしょう。
その少年は椰子の実をくるくるっと回しもぎり取ると、それを口にくわえ、またするするっと下りてきます。
いや~すごいもんです。

ところで椰子の実ってすごく美味しそうに思いませんか。
僕も小さな頃椰子の実にストローを差し込み飲んでいる写真などを見て、どんなに甘くて美味しいんだろうって思ってました。
それでもなかなか飲む機会がなかったのですが、ある時やっと飲めることができたのです。
でも、それはそれ程美味いってもんじゃないんですよね。
すごく薄くて甘くないスポーツドリンクって感じですかね。
もちろん不味くはないのですが、やはり期待していただけあって初めて飲んだ時はちょっと裏切られた気がしたもんです。
そこまで勝手に期待されちゃ、椰子の実も気の毒ってもんですが。

その後も島を歩き続けますが、これがなかなかきつい。
途中から人の姿も見かけなくなり、容赦なく日光が照りつけます。
一休みするような日陰もほとんどありません。
喉もからからに渇きます。
ココナッツ、水~。
でも、ココナッツ少年ももう見かけません。
30タカでも払ってやるのに。
結局、一周するのに4、5時間かかってしまいました。
疲れた~。
これちょっと長すぎるんじゃない。
確かに歩いて一周できるってことには間違いないのですがねぇ。



泊まっている宿にミャンマー出身の若い兄ちゃんがいます。
小さい頃に難民として家族とともにバングラデシュに移住してきたらしいのです。
家族の住む家は本土にあるらしいのですが、シーズン中はここセントマーティンに来て宿の客引きをしたりして働いているようです。
でも、なんか怪しい男です。
僕にひんぱんに声をかけてきたり、お茶でも飲もうと誘ってくれたりもするのですが、その行動ひとつひとつがやけになれなれしく怪しく感じるのです。
そして、携帯電話で写した外国からの旅行者の写真を見せて、これがカナダ人でこれが日本人のカップルでと説明してきたり、外国の紙幣を集めているんだといって僕に日本の紙幣を暗に求めてきたりと、すべての行動が鬱陶しいのです。
でも、ホテルのオーナーが経営しているレストランで食事を取ると、彼がかなりディスカウントしてくれたりと親切なことは親切なのです。
それでもなにか怪しいと警戒してしまうのは、僕の長い旅の経験によるものなのでしょうか。
ですから、そんな彼についつい冷たい態度をとってしまいます。

今日、本土に戻るので何時に船が出発するのかと彼に訊くと3時に大きな船が出航するといいます。
チケットも本当は250タカのところを安く100タカで買ってあげるともいいます。
だから、彼と2時に宿で待ち合わせて、一緒に港まで行くことになりました。
2時前に宿に戻ると、彼も一緒に船に乗り本土に戻るといいます。
なんでだ?とますます怪しく思いますが、どうやら3月でこの島の観光シーズンが終わるので今日本土に帰ってもいいかオーナーに伺いをたてたところ許可がでたのようなのです。
彼は慌てて荷造りをして、友達らにお別れの挨拶をします。
そして、二人で船着場へ向かいます。
そこには、行きに乗ったあおのおんぼろ船はいったいなんだったんだと思うほど立派な大きな船が泊まっています。
その船には漢字で「今治」→「瀬戸」と書いてあるのが見えます。
どうやら日本で使っていた中古船のようです。
船の乗り口で彼はチケットを売っている人と話をします。
どうやら知り合いのようです。
そして、僕と彼はチケットを買うことなしに船に乗り込むことができたのです。
どうやら僕が彼に払う100タカは、そのまま彼の懐に入るようですが、安く船に乗れる僕にとってなんの不満もありません。
船が出港すると席に座り彼と話をします。
彼は僕に集めた外国の紙幣を見せてくれます。
カナダ、スペイン、そしてなぜかアンゴラのお金もあります。
彼にはこの船のことも含めいろいろと世話になったので、そのお礼にとも思い、余っていたイランとブルネイの紙幣を彼にあげました。
すると彼は目を輝かせ、その札にキッスをしたりして、本当に嬉しそうに喜びます。
あまりの喜びように僕が驚いたくらいです。
今までも外国のお金が欲しいという人に、余っていた紙幣や硬貨をあげたことが何度かありますが、こんなに喜んでくれる人はいませんでした。
彼はお礼にといって一杯10タカもするコーヒーを奢ってくれます。
彼は純粋に親切な人であったようです。
僕の長年の旅の経験に基づく勘ってやつも全くあてにならないようです。
冷たい態度をとってしまってごめんなさい。

船が本土に近づくと海岸沿いには小さなあばら家が固まって並んでいるのが見えます。
彼は僕にあれはミャンマーから逃げてきた人の難民キャンプだといいます。
みんな苦しい生活をしているともいいます。
彼も働いて稼いだお金は親にあげているといいます。
たくさんの兄弟、姉妹がいるからと。
結婚したくてもお金がないからと寂しそうに話します。
そして、この状況を抜け出すには英語が話せることが大事なのだと。
だから、これからももっと英語を勉強して流暢に話せるようになりたいと。
本当に真面目な青年であります。
そんな彼にはいつか裕福で幸せな暮らしができるようになってもらいたいものです。
まっ、僕の場合、他人の心配をするより自分のことを心配しろってつっこみがどこからか聞こえてきそうですが‥‥。

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